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産後うつコラムPartII

産後うつから復活しつつある私から
うつに苦しむ人へのメッセージ。

初めて心療内科に行くのは、

けっこう大変なことだと思います。


自分でもなんだかおかしい、

このままではダメだ、なんとかしなきゃ、

と思っても、


やっぱりどこかで

自力でなんとか這い出せるかも・・・

と思ってしまう自分がいるからです。


そして日にちばかりがどんどん過ぎていきます。


まだ生まれたてのような赤ちゃんを連れて

出かけているお母さんをよく見かけます。


でも、私は最初怖くて、
マニュアル通りに

本当に近所にちょろっとお散歩に出るのがやっとでした。


それでどんどん引きこもりのようになって、

外に出るのもだんだん億劫になって、
人混み恐怖症になり、

スーパーでさえ、人やモノがあふれるところに行くと

動悸がするようになっていました。


外出して息抜きしたほうがいい、と

家族が外へ連れ出してくれたりしても、

ストレスにしかなりませんでした。


そして、身体的にもきつくなってきました。


もともと持病だった肩凝りがひどくて、

肩甲骨が痛くて痛くて眠れなくなってきました。

腰や膝も痛み出しました。


そこで、チラシで「うつ」にも効くという

気功整体院が近所にあると知って、

そこへ通い始めました。


自分でもうつの自覚はあったものの、

専門医、には直接行きにくかったから。


そこでは一回の施術が4000円、

そして週に何度か通い続けないと、

ひどくなりますよ、と脅されてしばらく通いました。


特に効果は現れませんでした。

値段が高いので、そうそう続けられませんでした。

そして、市、都の保健窓口に

相談して、


やっと救いの神のような人に出会いました。

自身もそういう経験をして、

いま仕事に復帰しています、という

保健士さんでした。


同じような思いをした人が目の前にいる、というだけで

すごい安堵感でした。


そしてその人が勧めてくれた

心療内科クリニックに行ったのです。


勇気というか、不信感というか、

やっぱり行くまでにはずいぶんと迷いや戸惑いが

あったように思います。


と思いたい気持ち。


精神的な病、とか心療内科に

やはりどこかで偏見があったからだと思います。


でも、今ではやっぱり、

薬の力を借りなければ


穴の底から私は一人では出ることはできなかったなぁ


と思います。


第一歩が大変。

そのあと通い続けるのも大変。

医師との相性もあると思います。

薬も何種類もあり、自分に合う薬に出会うのも

難しいようです。


すぐに劇的に治るわけでもありません。


地道に日々を耐えるのは
通う前と同じですが


でも、もう一人ではないし、

薬でなんとか楽になれる、と


自己暗示もかけられるようになります。


心療内科に通ってくる様々な人も、

待合室で目の当たりにして、

みんな似たような苦しみを抱えているんだ・・・

と思って、自分も頑張ろう、と思えるようになります。

やっぱり早めに、


専門医に診てもらうのはいいのではないかと思います。






母性も


母乳同様、


子を産めば

当然のように自然と芽生え

誰もが立派な母親となるのだと

それは本能的に備わっているものだと

なんとなく思っていた節があります。

まず、母乳でつまずきました。

まったく充分には出なくて

産院を退院したその足でうちに帰る前に
ドラッグストアに買いに走りました。


しかもなにもわからず
産院でほかのママさんや
助産師さん、看護師さんに聞いた情報で。


粉ミルクは産院に営業に来ていたメーカーのもの

哺乳瓶も産院でつかっていたものを

レンジで消毒滅菌できる便利グッズは
二人目を出産した先輩ママさんに聞いて


ひとつひとつ忠実に探しました。


母乳の代わりはミルクで済みます。

でも

母性は?売っていません。


そして見事に

母性も本能的に自動的に芽生えるものでは

ありませんでした。


なにこれ?

夜中に起こされる。

おむつを替えてもミルクをあげてもゲップをさせても

泣き止まない。

つらい!きつい!どうすればいいというの?

体は痛いししんどいし
精神的にも追い詰められてくるし。


しかも苦労してあげたミルクを吐く。え~?
これなに?病気?


マニュアルと首っ引きでした。

里帰り出産で

経験者の母もいるというのに


なぜか母も大して役に立たず

一緒にパニックになったり


そればかりか

母乳のことを色々口出ししたり

あれこれ余計な知恵で

妙なことを騒いだりダメ出ししたりして
(紙おむつじゃなく布おむつを使うと言ってきかなかったり、
テレビの音は赤ちゃんに悪いから見てはいけないと言ったり)


ストレスを増大させる一方でした。


もう、

母性もなにもそれどころじゃありませんでした。


勝手なイメージ=
新生児を抱く聖母のような母親像


は幻想でした。


現実は、ひっちゃかめっちゃかです。

そしていつしか「殺菌消毒」というワードに

異様にこだわるようになり、

神経質が病的になっていきました。


もとは結構いい加減な性格なのに。


そしてもうひとつ

そのころ北朝鮮のテポドンというのが
時代のトピックだったのですが


これが日本に飛んできたら

赤ちゃんも私たちもみんな死滅するんだ・・・と
いう恐怖に取りつかれていました。


負のスパイラルにハマる
きっかけだったかも。


いま思えば

産んでも自然と母性は備わるものではありません。


個人差もあるかもしれませんが


徐々に子供と共に母親の中で育っていくものです。


こんな私も今ではそれなりにお母さんらしく

(たぶん)なっています。







初めて妊娠したとき、いわゆる

妊娠・出産のハウツー本を何冊か買って読みましたが、


自分が高齢出産(37歳時に初産)(^^;

であること以外は、そんなに深い考えもなく、

結婚したら、子どもが産まれる、

自然のなりゆきくらいに本当に安直に考えていました。


29歳で知り合った相手でしたが

なかなか結婚に踏み切れない様子だったので
女性にはタイムリミットがあるのになーとプレッシャーを
かけたりはしてましたが。


一人っ子なので、二人は産みたいなぁと
なんとなく思っていました。

それには、35歳で結婚は駆け込みな感じでした。


O型人間で、計画的というよりは

イキアタリバッタリ、だし仕事を続けるかとか

何も考えてなかったかも。


でも、妊娠が発覚したとき、

私は赤ちゃんを保育園に預けて仕事を続けるのではなく、

しばらくは自分の手で育てたい!と思い、

仕事は、子どもが手を離れてから(それが何年後とかは

あまり考えもせず)また始めればいい!と


ただちに辞める決心をしました。

夫はなんだか仕事を続けて欲しい、ような様子でしたが

とにかくしばらく休業します!と勝手に決めちゃったかも。

でもこちらも当然、専業主婦として居させてくれるかと思ってたのに
反対だったの~?って思ったけど。


そのへんの話し合いは不十分だったかもしれません。

でもお正月のころに発覚したし、
もうおめでたい気分でいっぱいだったし

とにかく歳だし元気な赤ちゃんを産まなきゃ~と

だけ思っていました。


それで、


あまり気負うこともなく、
マニュアルに縛られることもなく、
仕事も臨月まで続けて、満員電車で押されまくって、


つわりや、蕁麻疹や、あと逆子というトラブルだけは
多少あったものの


気負いなく妊婦時代を過ごしました。


それが、出産したとたん、

(結局逆子はなおらず、急きょ直前に帝王切開手術に

決まったのはちょっとびっくりしましたが、
まぁ病院におまかせ~と主治医も女医さんだったので
安心、信頼しきっていました)


まず母乳が出ない!(私は実はおっぱいは大きいので
当たり前に出ると信じてました。

おっぱいマッサージとやらも本で見てやってはいましたが

そんなに真剣にはやらなかったかも)


帝王切開の場合、

出産10日後まで入院だったので、

入院中に母乳が出ないことに
すごく落ち込みました。
授乳室に行くと、みんな順調に出てるのに・・・


しかも、うちだけ、帝王切開で37週で出産なので

やたら小さい・・・あと一歩で未熟児の体重・・・


焦りました。


何も考えてはいなかったお気楽な新米ママだったけれど、


しっかり母乳神話にはおかされていました。


しかも、

いつか、自分で産んだ(自然分娩)お母さんにも、

なんだか引け目を感じていました。

陣痛も破水もしてないし・・・

痛い思いもしてないし・・・


しかも、開腹して赤ちゃんを取り出した

瞬間は、赤ちゃんを一瞬見せてもらえたけど、


そのあとはすぐ処置のため

全身麻酔をかけて、数時間こんこんと眠っていたし。


夫は立ち会えなかったので
仕事が終わって
夜の10時頃、特別に病院に頼んで面会、
その時に赤ちゃんを個室に連れてきてもらいまた対面。


出産の時のエピソードは様々、ひとそれぞれ、

そして、皆同様に、命懸けで赤ちゃんを産んでいると

思います。

分娩室から聞こえる叫び声や、

そのあと4人べやに移動して聞いた切迫早産の

おそれがあってずっと寝たきりで入院しているひとや、


あと、その病院は無神経だったと思うのですが、

流産処置や婦人科の患者さんも同じフロアにいました。

産婦と同じピンクの患者服を着て。

さすがに不妊治療の人はいなかったと思いますが。


ひょんなきっかけから、


うつ病まではいかなくても


うつ状態には誰でもなりうると思います。




私が知っている人だけでも

育児のストレスから(ご主人が忙しくて協力できず、ひとりで戦う)
長年付き合った人との別離から
性格的に細かいことをあれこれ気にして、気分の波として


うつ状態になったり、
パニック症状(不安で胸が苦しくなる)になったり、
人と会いたくない、ひきこもり状態になったり


する人が何人かいます。



それが長引くかどうかは

それに対処する力があるか(免疫力のようなものかな)
それに打ち克つのに必要な環境にあるか(周囲の理解や協力)

それをうまく流すことができるか

そしてやっぱり薬も必要でした、


私の場合。


それでも、なんだかんだで


最初はうつということを受け入れることから始まって

こじらせることが多く、本当に長引きました。


完治?>再発を何度も繰り返したからです。



産後うつというやつは


産後=ひとりまったく自分では何もできない
人間を生み出して、お世話をしなければいけないという状態でなるので、


ひとりで戦うことが特に困難な状況です。

本当に厄介です。


私は


行政にも頼ろうとして


市役所や都の保健所に電話して、
保健師さんにも訪問してもらって、救いを求めましたが

なかなか納得のいく援助は得られなかったと思います。



私がちょうど苦しんでいたころ

女子アナウンサーの自殺という悲惨な出来事もありました。


でも、そんなにフォーカスされませんでした。


時々あさの報道番組などでも取り上げられていますが


もっともっと知られていい、と思います。

私は、もともと自律神経が弱くて、

若い頃は

生理痛もひどく、

よく電車などでめまいやたちくらみを起こして、

起立性低血圧と診断されたことがあります。


肩こりにも悩まされ、ひどい冷え性でもありました。


産後すぐ、帝王切開の麻酔が切れて
傷口が痛み出したとき、


その疼きよりもひどかったのが、肩甲骨の痛みでした。

寝ていられないくらい痛くて、湿布を貼ってもらいました。


そして「うつ」に気づく前にもずっと

その激痛は続きました。


ただの肩こりとは違う。しかも、肩こりになる要素もない。

赤ちゃんを抱っこして、出ないおっぱい(これもストレスだった。

いま思えば、別にミルクでいいじゃん、とどうして開き直れなかったのだろう)
を与えようと必死だったので、


そのせいかと思っていました。


女性は心身すべてをかけて、9ヶ月の妊娠、出産を迎えます。

私のように高齢出産の場合、さらに体への負担は大きいです。


免疫力、ホルモンの低下で


些細なきっかけでも


長い階段を転げ落ちるように、


産後うつにまっさかさま、ということがあるように思います。


☆☆☆☆☆☆☆


いま思い返すと、

私の場合、結婚から出産にかけての

ストレスもあれこれととにかく多かったです。


もちろん、不妊などもっと辛く苦しい経験をした人もいると思いますが。


安らかに、

本当に映画やドラマで見るように

のんびりと、ただただ赤ちゃんの誕生を楽しみに

編み物でもしながら妊婦期を過ごすのは理想なんだろうなぁ。


それでもマタニティブルーなんて言葉もありますが。


私は、仕事をしていて、出産1ヶ月前で退職する予定で

満員電車に乗り続けていました。

予定日が急きょ、帝王切開出産への切り替えで

3週間ほど早まったので、


7月末に会社を辞め、

8月9日に出産というスピード展開になってしまい、

(8月27日の予定でした)


一ヶ月のあいだに整えようと思っていた準備もそこそこに

入院。


もっと早く退職しておけばよかったなー。と思います。