生臭坊主、煩悩まみれの高僧? | 心の鏡

心の鏡

天の霊妙不可思議な法則、神道について書いているブログ。心の鏡とは内在神を表し、神社のおみくじの神の教に「神様の御光が我が心の鏡に映るその時、凡ての心の曇り、心の闇は晴れゆきて、広き明き御恵みを授かる事が叶う」とあったところから命名しました。

今日も『霊と金 スピリチュアル・ビジネスの構造』の読書感想文。

 

明治政府が、お坊さん(僧侶)の肉食妻帯の解禁を行った事により…まあそれ以前から浄土真宗の開祖は愛に生きて妻帯していたのですが…日本の僧侶全体への法的解禁で、

それまでは出家して俗世間から離れて修行し、檀信徒からのお布施で細々と清貧生活を送っていたのが、妻帯し子供でも生まれて家族を養う必要が出て来ると、そうも言ってられなくなって、儲けに走るようになっていったと著者は考えを述べていました。

 

その明治政府の僧侶の肉食妻帯の解禁については当ブログでも記事にしていました。

 

【関連記事】

 

でもね、生臭坊主なんてのは、歴史を振り返れば、もっと昔からいたし、

今年も天台宗の50代の尼僧が1月に60代の住職とその師匠にあたる80代の高僧の僧籍はく奪と再発防止を求める記者会見を開いていた事がありました。

「仏さんの代わりに俺がやってるんだ」だの「逆らうと地獄に堕ちるぞ」などと信仰心を利用した洗脳をされ14年間も性被害を受け、心的外傷後ストレス障害(PTSD)に苦しんだとか…。

 

高僧というからには、それなりの修行を積んだ方なのでしょうが、修行してその宗教団体内で高い地位になったところで、実際は修行など形ばかりで、女性の尊厳を傷つけるのに加担してきたのです。

今60代の住職も僧侶のくせして煩悩の塊じゃありませんか。

 

そもそも、お釈迦さまからして修行なんかしても悟りは開けなくて、厳しい修行を否定し、

菩提樹の下で瞑想して悟りを開いてなかったっけ?

 

神道の方も、以前富岡八幡宮の宮司姉弟が神職の継承問題をこじらせ、弟は姉を日本刀で切り付けて自刃した事件もありました。

他にも神社本庁の事務方のトップを決めるのに揉めて現在二人いるような異常事態。

そんなこんなから離脱する神社も出てきました。

 

宗教団体でなくてもそうですが、団体組織って、次第に権威・権力を巡って欲望が渦巻いて腐って行く事が多いような気がします。

 

認知のゆがみっていうのかな?

信仰しているのは神様仏様の方なのだから、宗教団体組織内の狭い世界で偉そうにしているだけの心の汚れた人間、煩悩まみれの人間に支配されてはならない。

仏さんの代わりは人間にはできません。

単なる自分の欲望を正当化するのに、事もあろうに仏様を引き合いに出して使うとは、それでも僧侶なのか?

地獄世界があるなら堕ちるのは、当然そっちでしょ。

 

もう、そんな宗教者いらね!

むかつき