天神信仰 | 心の鏡

心の鏡

天の霊妙不可思議な法則、神道について書いているブログ。心の鏡とは内在神を表し、神社のおみくじの神の教に「神様の御光が我が心の鏡に映るその時、凡ての心の曇り、心の闇は晴れゆきて、広き明き御恵みを授かる事が叶う」とあったところから命名しました。

天満宮は天神様とも呼ばれ、天神信仰の神社は3番目に多い神社数で3953社…というデータを載せていましたが、北野天満宮の公式サイトを拝見したらば「全国約1万2千社の総本宮」とあり、どうしてそんなに数が桁違いなのか?困惑しているところです。

もしかしたら、他の神社内にある摂末社の天満宮・天神社も数えてみると1万社を超えるのかしら?

 

御祭神は学問の神様として知られる、平安時代初期の学者であり、政治家でもある、菅原道真公。

 

天神とは「天満大自在天神」(てんまんだいじざいてんじん)の略称で、雷神で祟り神の菅原道真を神格化した呼び名。

 

平安時代初期、和歌や漢詩などに優れた才能を持ち、899年には右大臣まで出世した事を、左大臣の藤原時平に妬まれた菅原道真は、讒言により901年九州の大宰府に左遷されてしまい、失意のうちに病に倒れ、赴任して2年後に亡くなりました。

その後、都で不穏な事が続き、無実の罪を着せた藤原時平は急死、御所には落雷で多数の死傷者が出たので、原因は道真公の祟りと恐れられました。

そこで北野の地に神殿が947年になってからですが創建されました。これが北野天満宮の始まり。

朝廷からは「天満大自在天神」の称号が贈られ、平安京鎮護の神として祀られました。

さらに道真公が和歌や漢詩など学問に優れていた事で、和歌や芸能の神、学問の神へと神格が変わり、江戸時代には天神信仰が庶民に広く浸透しました

太宰府天満宮のほうは、道真公が埋葬された地に905年に廟所が建てられたのが始まりとされます。

↑湯島天神の「なで牛」さんです

 

天神は、元は中国で天候などを司る神の事で、日本では天津(あまつ)神の意味でも用いられ、特定の神の名では無かった。

また、元々、京都には民間信仰として雷神があり、道真の怨霊と結びつけられたとされる。

主に祈雨、避雷、五穀豊穣の神だった。

 

御神徳は、現代の北野天満宮の公式サイトでは、

農耕の神、正直・至誠の神、冤罪を晴らす神、学問の神、渡唐天神、芸能の神、和歌・連歌の神、厄除けの神、武芸の神など数えつくせないほどあるとのこと。

 

 

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