庶民の参詣流行
江戸時代、天下泰平の世が訪れ、庶民の社寺参詣も盛んになりました。
物資の流通の為に街道は整備され、各地の街道筋には旅籠(はたご)や遊興施設も出来上がっていました。
巡礼
元禄期(1688~1704年)から西国巡礼や四国遍路を行う日とは増加していましたが、18世紀には江戸が文化の中心地のひとつとなったこともあって、
関東の庶民による坂東三十三カ所、秩父三十四カ所などの巡礼も行われるようになって行きました。
講
当ブログでも、以前「伊勢神宮」のテーマで伊勢参り、約60年周期の集団参詣である「おかげ参り」などのことを記事にしましたが、人々は著名な神社仏閣に参詣する為、講(こう)を組織しました。
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富士講と神社の富士塚
関東で盛んだった講として、富士山に登拝する為の「富士講」があります。
富士講の祖とされているのが戦国時代から江戸時代にかけて活動した行者の
長谷川角行(はせがわ かくぎょう)です。
18世紀前半には食行身禄(じきぎょうみろく)などが出て、
文化・文政年間(1804~30年)には、富士講は爆発的に増加しました。
講員は関東各地に「富士塚」と呼ばれる人造の山を富士の溶岩を持ち運んで築き、
富士山の遥拝所並びに代理登拝の場所としました。
(それで関東で神社巡りしていると、時々境内に富士塚のある神社が見られるんですね。)
大山講など数多くの参拝講
その他にも、今の神奈川県伊勢原市にある大山阿夫利神社に大山(おおやま)詣するための大山講
山岳信仰で言えば修験者たちの活躍により、
出羽三山、白山、木曽御嶽、熊野三山、大山(だいせん)、金刀比羅、霧島などをはじめとする数多くの参拝講が結成されました。
この他
今の広島県廿日市市・厳島神社へ厳島詣
今の神奈川県藤沢市・江の島神社へ江ノ島詣などもありました。
稲荷神信仰
一方、都市部では稲荷神が盛んに信仰されるようになりました。
それまでの農耕神の性格に加え商業神としても信仰されるようになり、
多くの稲荷社が勧請されました。
天神信仰
天神も学者文人の間で学問の神として信仰されるようになり、寺子屋での天神講などを通して庶民に広く浸透して行きました。
愛宕・秋葉・恵比寿信仰
それから江戸は火事も多かったので愛宕・秋葉など火伏、火防の神に対する信仰や、恵比須信仰も盛んになりました。
恵比寿信仰は従来の漁業から商業の神として関西を中心に信仰されました。
恵方参り
また、縁起の良い恵方もよく言われるようになり、年始に当たり恵方に参詣する「恵方参り」なども盛んになっていきました。
開帳
寺社が保有する本尊や宝物などを一定の期間公開する「開帳」が盛んにおこなわれたのも江戸時代です。開帳には寺社で行う自開帳と違う場所で行う出開帳がありました。
易学
易学も盛んになって行きました。易は古く中国から伝わっていましたが、戦国時代になると多くの大名たちがその習得者である修験者や僧侶たちを兵法家として雇うようになりました。
そして近世以降、一般にも広く浸透しました。
おみくじの広まり
こうした占いの流行とも相まって、「おみくじ」なども広まっていったのです。