寝ても覚めても覚めても寝ても、神の御かげは忘れられぬ | 心の鏡

心の鏡

天の霊妙不可思議な法則、神道について書いているブログ。心の鏡とは内在神を表し、神社のおみくじの神の教に「神様の御光が我が心の鏡に映るその時、凡ての心の曇り、心の闇は晴れゆきて、広き明き御恵みを授かる事が叶う」とあったところから命名しました。

 

寝ても覚めても覚めても寝ても、神の御かげは忘れられぬ

神様の尊い御慈しみの御光りの中に生きて居る私達。

食べるも着るも、寝るも起きるも、

みな悉(ことごと)く神様の御かげなのです。

朝夕の神拝を欠かさずに、

有り難い、忝(かたじけな)いと、

感謝の気持ちを胸一杯に抱き、

授けられた御仕事御役目に精を出しましょう。

明日も屹度(きっと)、

慈愛に満ちた神様の御導きが戴けます。

 

(おみくじの神の教より)

 

【私なりの解釈】

寝ても覚めても、覚めても寝ても…って、まるで恋するかのように神様を想う見出しですね。

ちなみに、こちらは神社で引いたおみくじの神の教=お告げ文ですので、

神道への誘いが顕著に表されているのです。

 

神道は多神教ですから、ここで言う「神様」とは、日本の八百万(沢山、大勢)の神々の総称でしょう。

すると確かに神々とそれぞれの御神徳「御(お)かげ」は数が多過ぎて、食べるも着るも…って事になりますね。

確か、安眠の神様もいた。大阪府泉佐野市の日根神社。

 

また、何か専門的・技術的に優れた人、スポーツ選手、尊敬する人、憧れる人を称賛して「〇〇の神様」ということもあります。

 

そして神様は自分の心の奥にもいるという考えもあります。

元々、私達の魂は神様の分霊で、清らかな存在であるという霊魂観から。

 

それから今では使われる事も無くなった気がする「忝い(かたじけない)」

私もあまり使った事が無いのですが、神道では神棚拝詞にも

「大神たちの広き厚き御恵みを辱(かたじけな)み奉(まつ)り…」とあります。

神々に対して「かたじけない」とは?

 

かたじけない】期待以上の好意を受けて、感謝に堪えない気持ちだ。ありがたい。

《例》ご愛顧を忝くする=格別私共をひいきにしていただいて、ありがたく思っています。

 

つまり、神様には寝ても覚めても覚めても寝ても恋するように拝礼し、

自分が思うよりずっと神様のほうからも好意を受けていると思いこんじゃっていい。

それで感謝に堪えない気持ちを胸いっぱいに抱いて、お仕事、お役目に精を出しましょう。そうする事で慈愛に満ちた神様のお導きが戴けるでしょう。

と、解釈してみました。