神鏡を見上げて | 心の鏡

心の鏡

天の霊妙不可思議な法則、神道について書いているブログ。心の鏡とは内在神を表し、神社のおみくじの神の教に「神様の御光が我が心の鏡に映るその時、凡ての心の曇り、心の闇は晴れゆきて、広き明き御恵みを授かる事が叶う」とあったところから命名しました。

昨日は東京大神宮にて正式参拝をして参りましたが、拝殿には神社用の折り畳み椅子みたいな胡床(こしょう)という腰かけが並べられていました。

 

 

また祈祷の式次第も、立ち上がって礼をする時やその姿勢を元に戻して座って良いタイミングなどのたびに、巫女さんが「お立ち上がり下さい」「礼」「お直り下さい」などと声を掛けて教えてくれるので、不慣れな方でも心配いりません。

 

お寺の護摩行に参列した事もありますが、深川不動尊ではお堂の座席が映画館や音楽ホールみたいに坂になってまして、一番後ろの席が高い位置、一番前の仏前で火を燃やしている護摩壇が低い位置にありました。

さらにその床下の通路にもクリスタル仏像が沢山奉納されている回廊があって、

ご家庭の神棚設置場所であれば、その上に部屋があると神様を上から踏みつけるようでいけないから「雲」という字を書いて貼って、上が無かったことにしたりするものですが、その辺も仏様と八百万の神様の信仰の違いですかね。

護摩火も焚いているし読経も太鼓も激しく強く響いて来る感じがして、お寺はお寺の良さがあります。

なんかこう、煩悩だの悪い厄災を焼き尽くしてもらえそうな強さが感じられます。

(宗派によって護摩壇が無いお寺もあります)

 

一方、神社は水による清めで(あ、もちろん、火の神様祀っている神社の火祭りとか火による清めもございますが)

太鼓も最初に打っていましたが、時間的にお寺よりずっと短い合図みたいな感じでしたね。琴の演奏も平安装束の神職がされていて雅やかでした。

 

それから祝詞の起源は、天石屋戸(あめのいわやと)神話で天児屋根命(あめのこやねのみこと)が「太祝詞(ふとのりとごと)」を申し上げたことにあり、最初の修祓(しゅばつ)での祓詞(はらえことば)も祝詞の一種です。

 

正式参拝の作法では斎主が祝詞奏上している間、参列者は立ち上がり敬礼して頭を下げて、神様に御願いをしているわけですから、当然、その時に写真撮影などするのは厳禁です。

『神様が降臨するかもしれない瞬間をとらえたい!』などと思ってカメラを構えたりせず、心静かに願い事の成就を念じてお参りしたいものです。

 

私はいつも拝殿前から参拝しているので、つい、目の前の拝殿奥の方を意識して祈っていましたが、正式参拝で本殿のかなり高い位置にある神鏡を見上げて、

古来、日本の神々は高い所にいらっしゃる、山や高木などを依り代にする、宿る、高い所から降臨するという信仰があったことを思い出しました。

 

本当は神社参拝なら、敬礼をして目を閉じたり、視線は床面・地面を見ながらも、

心の焦点はもっと空高くに合わせて神様を意識したほうが良かったのかもしれないと考えました。

 

そうそう、手水舎の所に置いてあった「東京大神宮参拝のしおり」にも、

お参りのあとは、境内でゆったりと過ごしながら、心身の緊張をほぐしましょう。

お守りやおみくじは、お参りのあとに受けるのが神様への礼儀です。

…と、書いてありました。

もしかしたら、まだご存じない方がいらっしゃるかもしれないので、ここにご紹介。