《御神徳》直日(なおひ)の神 | 心の鏡

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天の霊妙不可思議な法則、神道について書いているブログ。心の鏡とは内在神を表し、神社のおみくじの神の教に「神様の御光が我が心の鏡に映るその時、凡ての心の曇り、心の闇は晴れゆきて、広き明き御恵みを授かる事が叶う」とあったところから命名しました。

昨日のお参りの話の続きですが、記事の分類テーマは「神々の御神徳、仏のご利益」にしたいと思います。

 

さて、昨日の祈年祭の日、旗岡八幡神社で帰り際に御供物のお下がりを頂戴いたしました。

素敵なパッケージに入った吹き寄せで、今日はありがたく美味しくいただきました。

色々入っている中で特に元品川区民の私が好きなのは品川巻(海苔巻の棒状の)ですニコニコあ、どうでもいいですね。

ところで、直会(なおらい)については、以前にも記事にしたのですが、もう少し深く「直日(なおひ)の神」についても書きたいと思います。

 

 

 『日本古語大辞典』昭和4年/1929年では

軍人であり、言語学者・民俗学者であった松岡静雄による『日本古語大辞典』昭和4年(1929年)では、直会(なおらい)の事を、「ナホヒ(直日、直毘の神。「ひ」は活用語尾)で、直くすることを古語でナホヒというたものと思はれる」としている。

 

 

 折口信夫の説、色々

大嘗祭の本義(『古代研究』)において、折口信夫は、

直会は直り合う事だと云はれて居るが、字は当て字で、当てになるまい。

(…って、オヤジギャグ風で面白い)

それで、つらつらと天子様の食事の時の話が出て来て論じているのですが、長いので要約しますと、天子様の御食事のお世話をする女性らが唱える

「とがありともなおびたまへ」という呪言からきている。

手落ちがあったとしても、天子様の召し上がりものには間違いが無いようにという意味の唱え詞。

これは、あるいは(座を改めて)2度食事する事から出た解釈かもしれぬ。

直会はゆったりと寛いだ式で、その席に出る神も直日の神と云はれている。

 

他にも直会、直日の神については様々な研究・解説がされてきたようです。

 

 『上世日本の文学』の中では

 

よく、災いを表わす神である大禍津日神(おおまがつひのかみ)に対する大直日神と考えられていますが、

その成り立ちから「積極的な善神ではない」と言うのが折口信夫の説であります。

どうやら歌の言霊、言い間違いが関連していると考えられたようです。

『上世日本の文学』では…

古今集の歌は、朝賀の時に謳われ宮廷に残ったものである。

元来は民間の直会の席で用いられたものらしい。

なほらひの歌から大直日の歌が出てきたのである。

 

朝賀の時に下の者から上の方々へ寿詞(よごと)を奉る。

しかし、そのよごとを奏する時に、もし言い間違えたりすると、

その間違えて発した詞の為に、そこに、非常な禍(わざわい)が起こると信じられていた。


間違えたよごとの効果、すなわち禍を表わす神として考えられたのが大禍津日神であり、大直日神はそれに対して考えた神である。

 

詞が間違っていると禍が起こるので、その誤って発した「よごと」の効果が生ぜぬ中に直日神の出現を祈る。

それが「なほらい」であって、なほらいとは直日神の威力を生じさせる行事を言うのである。

というような事が書かれているとか。

【参考書籍】

 

 

と、いう事を読んで、がっかりというか、私には素直に受け取れない説でした。

正義のヒーローみたいに悪い神様をやっつける善い神様の対立構図じゃないのは分かる。

でも、食事の手落ちや言い間違いの修正役の神様っていうのも…。

直会で祭儀から日常生活へ直る時に司っている神様だから直日神だと思っていたい。

それと人の曲がった心を正すような。

どうも、私は折口信夫説とは合わないですね、いつも。