数百年前の宗教から数百年後の宗教を思う | 心の鏡

心の鏡

天の霊妙不可思議な法則、神道について書いているブログ。心の鏡とは内在神を表し、神社のおみくじの神の教に「神様の御光が我が心の鏡に映るその時、凡ての心の曇り、心の闇は晴れゆきて、広き明き御恵みを授かる事が叶う」とあったところから命名しました。

今、『仙境異聞』(せんきょういぶん)現代語訳を読んでいます。

これは江戸時代に異界と人間界を往復し山人・天狗の師匠の元で過ごしたという寅吉少年(天狗小僧・寅吉)を、国学者・平田篤胤があれこれ天狗の事、火事のこと、竜の事、地震の起こる理由、太陽や月、火星など宇宙空間に行った時の話、魂の行く末などを聞いて、1822年、本にまとめられたものですが、

202年前に当時の人達が、まだ科学的に解明されていなかった様々な事について、

神々や仏・天狗との関わりを念頭に置いた質疑応答をしているのを現代人の私が読むと、『そ、それは違う』と思うこともしばしばです。

 

例えば『天狗が悪い人の家や村に罰を与えるために、体の中から火を取り出して家を焼く』など。

大空の寒い所を寅吉と通っている時に、寒いから天狗師匠が火を落とし何軒も家が火事になって師匠は「さあ火にあたれ」と言い、上空で火にあたったとか。

 

『いや、それ放火だよ!炎』と、突っ込みたくなりました。

江戸の町は火事が多かったそうですが…。

 

他にも宇宙の事やら色々あって、今では解明されている事については、

『昔の人はこれの理由を宗教に求め、そういう風に考えたのね』と思うけど、

先々、今の私達が神秘的で不思議がっている事もスピリチュアリティも、数百年後の人達から見たら、おかしく思われるかもしれませんね。

 

同時に、普遍的なことも、死後の世界など生きている人々には想像するしかなく、永遠の謎だという事も読み取れます。