古代は村落のお祭りの時にだけお酒が造られたと推測されています。
根拠としては
『万葉集』巻3・379番に巫女が祈りを捧げお酒をそなえた事が分かる歌がある。
『播磨国風土記』の「揖保郡意此川」(いぼのこおりおしかわ)の条などに祭りに際して酒屋、酒殿を造り立て祭ったとあるといったところから。
この場合の酒屋は今の商店ではなく祭りに際して酒を醸す、村落共有の屋舎を指す。
歌って踊って美酒造り
そうした神に捧げる為のお酒の出来栄えは非常に重要な事で、祭りにあたって美酒が出来るかどうかは、神の御心に叶うか否かということであり、厳重な潔斎の元に醸造が進められました。
「酒ほがい」と言われるように、周囲で舞踏を行い、良き酒の兆(ほ)を得ようとするのも重要な事でした。
また歌も詠まれました。
『日本書紀』崇神天皇8年の条にも、
この神酒は私の神酒でなく大物主神の醸したお酒だ、幾久、幾久
という内容の奉る歌があり、
『古事記』の神功皇后の「酒楽(さかくら)の歌」の段にも、神功皇后と竹内宿禰の歌で…
この神酒は私が醸したお酒ではありません。
この神酒は酒の支配者であり常世の国にいらっしゃる、石像としてお立ちになられている少彦名神が、祝福して狂い踊り、踊りまわって祝福しつくし、献ってきた神酒です。
なみなみと注いで、すっかりと飲み干してください、さあさあ。
この神酒を醸した人は、その鼓を酒を造る臼のそばに置いて、
その周りを鼓の音に合わせて歌いながら醸したからであろうか、
踊りながら醸したからであろうか、
この神酒は、この神酒は、何とも言えず味が良くて楽しい。さあさあ。
…というような大意の歌があります。
本来、酒は神醸
つまり、お酒は本来、大物主神と少彦名神によって造られた「神醸の酒」であり、人間が造り出したものではない事を語っています。
また、神功皇后が献じた「待酒」は神意を伺う為の酒であり、
良い兆としての酒を得るためには呪術的動作としての歌舞「酒ほがい」が必要だったのです。
※良き「秀、兆(ほ)」を得ようとする動作や、何らかの呪術的動作が「ほぐ」といわれるもの。
お酒の神様、松尾様じゃないの?
という訳で、お酒と神々の話はまだ続きがありますが、ここで『あれ?お酒の神様って松尾大社(神社)、松尾様もそうじゃないの?』と思われた方もいると思います。
松尾大社がお酒の神様として崇められるようになるのは、歴史的にもっと後で室町時代末期以降の事らしいです。
私も少彦名神には、いつもお参りする時、医薬や国造り、知恵の神として、特に私は自分や家族の健康の事などをお祈りしていましたが、今度、お酒の神様としても意識してみたいと思います。
しかしまあ、少彦名神ってば、「祝福して狂い踊り、踊りまわって祝福しつくし」って書かれてますけど、これまでの私の頭の中では医薬や知恵ということで理知的なイメージだったので…。
踊り狂っちゃうタイプの人…じゃない、神様だったのー?と目を丸くしました。