夢でだけ行ける神社 | 心の鏡

心の鏡

天の霊妙不可思議な法則、神道について書いているブログ。心の鏡とは内在神を表し、神社のおみくじの神の教に「神様の御光が我が心の鏡に映るその時、凡ての心の曇り、心の闇は晴れゆきて、広き明き御恵みを授かる事が叶う」とあったところから命名しました。

今日の午後は、突然、圧倒的に抵抗できない眠気が覆ってきて、何かに引き込まれる感じで横になって夢を見ました。

 

今日は暦で壬午の日、十二直では執(とる)で、最近の暦は「とる」は何でも買い入れに良い日なんて書いてあるけど、元々は神事など執行する日、執行に良い日でありますから、神社詣りでもしたほうが良いかな、などと考えていた矢先、どうやらあちらからお越しいただいたような感じ…。

ちなみに二十八宿では「牛」万事に用いて大吉祥を得る日。

 

その夢の内容は、夢だけに全般的に話の筋も通らず意味不明ですが、

人に伝わりやすい部分だけ書けば、巫女装束の霊能者みたいな人から呼ばれてか、こちらから予約しててか?どこか懐かしい感じのする神社で、夢の中では以前も来た事のある神社だけど、現実には行った事も無い風景の神社を、結果的に2~3社巡ってきた夢。

 

最初に訪れた神社は境内で参道のお掃除の奉仕している人がいらして、

案内された巫女さんみたいな人と面談の始まってすぐ、話の途中で他の神社に移動してみたり、美味しいもの食べてきたり、自分勝手で失礼な私。

 

それに、どこか懐かしい神社だけど、何故かいつも本殿裏側の道から見上げてて、表に回ると、もう参道や拝殿前とか扉の前じゃなくて、いつのまにか社殿だか何だか朱塗りの柵のある建物?通路?の中に入ってしまっているんですよね。

 

それでいつの間にか巫女さんの所に戻ってて、巫女さんから貰った絵葉書のような分厚い束の写真を見ようとするも中身がよく見られないうちに、別の机といすのある場所で私は腰かけていて、巫女さんが私の頭の後ろの方に回って何やら診断を始めたのですが、しゃべっている言葉に覆いかぶさるように、どこからか別の誰かの会話がごちゃごちゃ聞こえて来てかき消され、何を言われているのかよく聞き取れなかった。

でも、最後に「…という数字が見えます」といったのは、ハッキリ聞こえて私の頭の中にも直に画面表示されて目覚めた。

 

結局、夢の収穫はその数字だけで、ちょっとそこだけ悔しいけど、

まあ夢の中だけで行ける神社にまた行けて懐かしかったり、楽しかったり、清々しい気分だったのだから良い夢を見られました。

 

以前、その懐かしい神社に行った夢を見た時は、神社から駅に帰るのに、其の時も本殿表側の姿は見ることなく、いつのまにかバス停からバスに乗って商工業地域を車窓から眺めていたので、どこか現実にそんな場所があるのかもしれません。

これから忘れた頃に巡り合うのかも。

 

昨年、三嶋大社に初めてお参りした時も『ああ、この風景、夢で前に見た事ある』と懐かしく思いました。

それはただテレビで見たことあったからじゃなくて、たまたま池の水を抜いているところだったり、こま犬に鳩が乗っているところだったり、自分が境内の鹿に餌をやっている時の鹿の表情動作や、タクシーの運転手さんや道を聞いた現地の人との会話など、私の視点と行動でのデジャブだったんですね。