心御柱(しんのみはしら)
心御柱(しんのみはしら)とは、伊勢神宮の内宮と外宮の御正殿において、
御神体が鎮座している床下中央に奉建される神聖な柱の事です。
「忌柱」(いみばしら)とも「天ノ御柱」(あめのみはしら)とも「天ノ御量の柱」(あめのみはかりのはしら)とも称します。
今でも御遷宮のたびに新たに奉建されるそうです。
日本神話でイザナギノミコトとイザナミノミコトが柱の周りをまわる伝承がありましたよね。
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この心御柱が伊勢の神宮の正殿の床下中央に建てられている意味は何でしょうか?
この上なき神物なり
幕末の国学者・鈴木重胤(すずき しげたね)は、
『延喜式祝詞講義』13の「還奉大神宮(おおかみのみやをうつしまつる)祝詞」で、
「神宮にて心御柱は御正躰(正殿のこと)と共に同等(ひと)しく斎祀奉(いわいまつ)る事にて、この上なき神物なり」と述べています。
また、江戸時代に垂加神道の影響を受け、橘家神道を大成した玉木正英の
『玉籤集』(ぎょくせんしゅう)巻6「心御柱之伝」には、
きわめて簡略にまとめると以下のような事が書かれています。
心御柱は天柱と国柱
心御柱は、天の柱 国の柱の表れなり。
天柱は天御中主尊の本源、国柱は国常立尊の道なり。
両宮御神体の真下に建(たつる)は天子御体を戴き奉り結ぶ表示なり。
神聖/中心/根本/強固/不動/伝統
遥か昔は、目には見えない神霊が高木などに降臨し依りつくと考えられたり、
竜巻のような現象に対する信仰もありました。
そして木造建築が発展してきた日本では「柱」が重要で、そこに信仰性も持ち合わせて「柱」に対する習俗を形成したと思われています。
(例えば神話にも柱を回る話があり、神々の数え方も「一柱、二柱…」となっている事など。また縄文時代のおよそ5千年前の三内丸山遺跡にも太い柱を何本も高く建てた所が発掘されている)
伊勢の神宮の心御柱は、そうした柱の信仰が最大に顕れたもので、
「神聖」「中心」「根本」「不動」「伝統」といった多様な心理対象となっているそうです。
【参考書籍】
そして『霊能真柱』へ
伊勢神宮の心御柱には天地の形、陰陽の源、万物、皇帝の命や国家の固めと言う思想なども中世初期からあったようで、国家の不動の基礎として、厳正な精神の確立の信念を表現するもののように例えられ、そこに教訓や秘伝を考える風も生じたとありました。
そして江戸時代の国学者、国学四大人の一人、平田篤胤の著書『霊能真柱』(たまのみはしら)では、冒頭部で、古学(いにしえまなび)する徒は大倭(やまと)心を堅めるために、死後の霊の行方の安定(しずまり)を知る事が必要だとしています。
もう、その題名からして「柱」信仰を打ち出しているわけですが、
心、霊の真の柱をしっかり建てておくには、誰もが迎えることになる死を見据え、
死後の霊の行方の安定を知る事が必要だという考えなのでしょう。
しかし、これは江戸時代にしては大虚空(宇宙)が出て来たり先進的な話と神話の神々、他界観を繋げて死後の世界を解釈していて面白かったものの、それから数百年経って、地球の成り立ち、生命・人類の発生などで解明した事も多く、それらの研究結果に合わせた新たな時代の神話・死後の世界・霊界との繋ぎ合わせも必要かもしれません。