崇敬神社の御札を申し込む | 心の鏡

心の鏡

天の霊妙不可思議な法則、神道について書いているブログ。心の鏡とは内在神を表し、神社のおみくじの神の教に「神様の御光が我が心の鏡に映るその時、凡ての心の曇り、心の闇は晴れゆきて、広き明き御恵みを授かる事が叶う」とあったところから命名しました。

家の神棚にお祀りする崇敬神社(地元の氏神様以外に信仰する神社のこと)ですが、複数の神社で御札を受けて、重ねてお祀りする時、その順番に決まりはありません。

 

神道だと天照皇大神宮と氏神神社の他に、自分で崇敬する神社の御札を神棚にお祀りしても良いので、私もこれまでに「湯島天満宮」「下神明天祖神社」「東京大神宮」「旗岡八幡神社」「丹生川上神社」など複数の崇敬神社の御札をお祀りしてきたことがありまして、今年は、というか、もう来年がすぐそこでしたね、今度、新年に向けてぜひ「宗像大社」もお祀りしたいと思い、今日は御札を郵送して頂くべく申し込みました。

 

本来、崇敬神社の御札も実際にそこに足を運んでお参りしてお分かち頂くものですが、数年前の例の疫病流行から郵送祈願・御守・御札の授与をする神社も飛躍的に増えたように思います。

 

 私は10年ぐらい前に癌の手術して、退院後は、少しの間台所に立って調理するのもひどく疲れて、途中で椅子に座って休憩取らないと続けられなかったり、近くのショッピングモールの館内を歩くだけでも疲れて家に帰って寝込んでしまうほどで、ふと、

『癌封じで有名な寺社も遠くて行けないなぁ』と残念に思った事がありました。

当時はそうした事情がある場合には電話相談して下されば対応します、とか、一部の社寺は通信販売システム利用、厄除け大師などでは何十年も前から祈祷札・御守などを郵送していましたが、今ほど一般的じゃなかった。

すっかり元気回復した今でこそ、全然遠いと思わない日帰りで行ける距離でも、体力・気力が衰えたら、そんな時こそ救いを求めるのに出かけづらいものなんだなぁと痛感したものです。

その点、今は大変ありがたく存じます。

 

私が宗像大社を崇敬した理由についてはこちら。守護神と知ったから。

 

 

 

算命学の守護神法で占っても私の命式だと壬(みずのえ)が第一守護神で、それは「海」ともいわれていましたが、おみくじで信心せよと出た神社に「海」「海上交通」を司る宗像三女神(むなかたさんじょしん)を祀る宗像神社もあったので、やっぱりそうなんだと確信しました。

 

海の神様なら海神(わたつみ)じゃないかと思われるかもしれませんが、そちらは私の人生振り返って、ほぼ接点がなかった神社なんですよね。

 

その点、宗像三女神は知らないうちからご縁がありまして、私の父の郷里が北関東の山の方なんですが、幼い頃、父に連れられ帰省した折に、伯父が付近を流れる川の上流に巨石群があるからって、そこに連れて行ってくれたことがありました。

何故かその事は不思議と記憶に残っている。

そしてそこには小さな神社が建てられていたんですよね。

近年、観光サイトで見て、私が幼い頃に連れて行ってもらった場所に祀られていた神社が山の中の川の上流に関わらず厳島神社だという事を改めて知った次第です。

正に私が幼い頃から見守って下さっていた。

それから、私が生後1年くらいまで住んでいた家の氏神様の上神明天祖神社=蛇窪神社には白蛇弁財天が祀られていますから、益々ご縁を感じて、御札とお守りが届くのを楽しみにしています。