昨今は「うしはく」という言葉も耳にすることが滅多にありません。

学者の皆様、神道家や神道系大学で学ぶ方々はよくご存じかもしれませんが、浅学な私なんぞは神社検定受検の為に勉強していて、「国学の四大人」って書いてあるテキストの「大人」の上に「うし」とふりがながふってあるのを読んで、50代半ばにして初めて「大人」と書いて「うし」とも読むと知りました。『え?うし?』牛ってビックリ!

「四大人」を「しうし」と読むだけでなく「よんたいじん」と読んでも間違いではないそうですが、神の威力を示す信仰用語の「うしはく」とも繋げられる「大人(うし)」と読んでおいた方が理解も深めやすい。

 

さて、それでは「うしはく」の語の出典と後世の解釈について。

 

『古事記』国譲りの段

「汝(な)が宇志波祁流(うしはける) 葦原中国(あしはらなかつくに)は、吾(あ)が御子の知らさむ国ぞと言依(ことよさし)賜ひき」

『万葉集』での用例

海原の辺にも奥にも神づまり宇志播吉(うしはき)います諸(もろもろ)の大御神たち【5巻】

 

皇神(すめがみ)の宇之波伎(うしはき)います 新河(にいかわ)の其の立山【17巻】

 

【6巻】牛吐 【9巻】牛掃 という字をあてているところもある。 

万葉集

やっぱり牛牛って思い浮かんだのは私だけじゃなくて万葉の昔の人達もだった。

「延喜式祝詞」の「遷却崇神」

また、「延喜式祝詞」の「遷却崇神(たたるかみをうつしやる)」では、「うしはき」を「うすはき」とも言っている。

 

  「うしはく」の語義について後世の解釈

丸ブルー『倭訓栞』で谷川士清は、

「うしは大人、勇猛の称なり」「はくは払ひ清むるの意」とし「其地を主張をいふめり」

と解している 

 

丸ブルー『古事記伝』で本居宣長は、巻十四で、うしはくという語は

「大人(うし又は主=ぬし)として其の処を我物と領居(しめお)るを云ふ」のだと述べている。

そして天皇に関しては、「うしはく」の用例が無いと解し、そこに統治(しろしめ)す(=知食すとも書く)と言う語の意味とは異なるものがある、その統治観念に違いがあるとの見解を示している。

 

丸ブルー『万葉集用字格』で春登上人(しゅんとしょうにん)は「神の領し給也」と註した。

 

丸ブルー『万葉集古義』巻五下において鹿持雅澄は、

「皆神祇等(かみたち)の所知食(しろしめす)事にのみいへり」と説いている。

 

 

 

 …という事で

「うしはく」という語は『古事記』(712年)や『万葉集』にも見られるくらいだから、

かなり古い時代からあったのですね。

しかし、江戸時代から明治時代に国学(古学)が盛んになり、明治維新・王政復古などの歴史の大きなうねりもあって、どうも「うしはく」の語義・思想が間違って伝わってしまったらしい。

この話も長くなりそうなので、一旦ここで区切らせていただき、次回に書きますね。