神社関係写真を掲載する時の不思議 | 心の鏡

心の鏡

このブログは主に神道について書いています。ブログタイトルの心の鏡とは内在神を表し、神社のおみくじの神の教に「神様の御光が我が心の鏡に映るその時、凡ての心の曇り、心の闇は晴れゆきて、広き明き御恵みを授かる事が叶う」とあったところから命名しました。

昨日の記事に、居木神社で撮影してきた写真を2点トリミングして追加しました。

過去の記事でも、これから写真を見つけて整えたら追加していこうと思います。

 

この機会に、これまでの神社関係の写真画像を見直してみたら、まだ他にも撮影してあるものの載せてない写真画像がありました。

それらは、単に私がアップロードの仕方をよく理解してなくて、

載せようとしたところ、画像サイズが大きすぎたか?でアップロードできなかったり、少しトリミングなどした後、アップロードは出来たけれど、フォルダ内にある時にはちゃんと上下は合っているのに、何故かブログの写真にアップロードにしたら横倒しになったりしていたものです。

それで一度削除し、角度をきちんと変更しなおしたり、あまり縦長にならないようにトリミングしなおしたりしてみました。

 

不思議なのは、私が何度そうしてトリミングやら角度を変更して正しても、

ブログの写真用にアップロードすると必ずまっ逆さまになっている神社の入口の写真があることです。

今日もそうでした。もう何回目のチャレンジだろう?

 

しかしまあ、それは平田神社ですから、御祭神の生前の大変ぶっ飛んだ言論などを考えると、おふざけして、からかって楽しんでいるのかもしれないし、畏れるより、もう笑って逆さまの状態で載せたほうがいいのかもしれませんね。

 

それから、お守りの写真についてですが…

以前は、私が神社やお寺で授与してもらって手にしたお守りの写真を載せていた事がありましたが、他のスピリチュアルカウンセラー的な人が書くブログで、

一度人が身に着けた御守は、他人に渡したりすれば自分の厄も渡すことになるのでよくない。もしプレゼントするなら神社仏閣で整えられた袋に入れた状態のままで渡すといいとか、ブログなどでお守りを公開すると、そうした個人的な厄・負の感情的なものも拡散し、霊感の強い人はそれを感じてしまうらしいことや、お守りが一挙に守護力を拡散させ消費し疲弊してしまうというような話を読んだ事がありました。

 

実際、私もお守りの写真をブログに載せていたら、何だか現実にトラブルなどが色々あって、錦袋のお守りも手にするとへろへろに弱っている感じがしたこともあり、漆塗りの板に龍の絵が描かれているお守りは、1年もしないうちに絵がかすれて消えかかってきたので『こりゃ、いかん』と感じて早めに神社に納めに行ったこともありました。

神社やお寺でも、各種お守り・お札の見本として掲げているのには、いかにも「入ってない」「抜けている」感じじゃないですか。

長い事展示ケースの中で日に当たって、お守り袋の色も褪せて変色していることだってあるくらいです。

『ブログでお守りの写真を公開するのも、そういう事なんだな』と理解したので、

当ブログはお守りの写真は無しです。

 

あとは御朱印の写真ですが、これも今年から集め始めたばかりで、今までは無かったので載せてませんでした。

先日、写真に撮ってはみたものの、これも公開は保留しています。

もし公開するとしたら、このブログじゃなくて、もっと全国各地から多くの人が投稿している「おまいりナビ」のようなサイトの方が、皆さんもあれこれ見られていいんじゃないかと考えています。

私の行ける範囲は狭いですし、御朱印の数も少ないので。

 

それでは今後とも当ブログをよろしくお願いします。