三種の神器は百王の心、鏡を優先 | 心の鏡

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天の霊妙不可思議な法則、神道について書いているブログ。心の鏡とは内在神を表し、神社のおみくじの神の教に「神様の御光が我が心の鏡に映るその時、凡ての心の曇り、心の闇は晴れゆきて、広き明き御恵みを授かる事が叶う」とあったところから命名しました。

さて、今日も「三種の神器」観の展開と深化の理解についての続き。

いつものように『神社のいろは要語集 祭祀編』から引用させていただきますが、

そのままだと、一般的に知られていないであろう古い時代の人物や書物の名や形が想像できない祭具の名が出て来たり、言い回しが「~故なり」「~べし」など古いので、その点、分かりやすく簡潔に書いていくのに腐心しているところです。

 

三種の神器の理解については、世の発展と共に掘り下げられていきました。

 

  『旧事本紀玄義』では

『旧事本紀玄義』で慈遍は、神璽は百王の心とするところであり、帝徳に従って応現無窮なりと把握

 

  『神皇正統記』では

鏡は一物をたくわえない正直の本源、玉は柔和善順を徳とする慈悲の本源、剣は剛利決断の智恵の本源、こうして三徳を併せ承けなくては天下の治平は難しく、

「鏡は明をかたちとせり。心性明らか成れば慈悲決断は其の中にあり」として、

鏡を玉や剣に優先させて理解し、三種の神器に高い文化価値を見出した。

 

そして「君も臣も神明の光胤を受け、あるひはまさしく勅をうけし神達の苗裔なり。たれかこれをあふぎ奉らざるべき」として、そこに国民倫理の基盤を見たのであった。

 

…という事で、まだ、もう少し続きがありますが、三種の神器という非公開の皇位継承のしるしについて、昔から様々な理解をされてきたようです。

今日はこれから歯医者に行くので、一旦ここで区切らせていただきます。