産土社/産須那の神 | 心の鏡

心の鏡

このブログは主に神道について書いています。ブログタイトルの心の鏡とは内在神を表し、神社のおみくじの神の教に「神様の御光が我が心の鏡に映るその時、凡ての心の曇り、心の闇は晴れゆきて、広き明き御恵みを授かる事が叶う」とあったところから命名しました。

 

産土社(うぶすなのやしろ)とは

「うぶすな」とは「産土」とも「本居」とも書いて、

出生地もしくは永住地に対する情緒的・信仰的意識で、郷土意識と結びついた神祇信仰の一つの形態である。

 

そこに奉斎する神社を「産土の社(うぶすなのやしろ)」「産土神社(うぶすなじんじゃ)」「産須那の神」また「氏神」や「鎮守の杜」とも称する。

 

【参考書籍】

神社のいろは要語集 祭祀編 監修・神社本庁

 

 

 

産土神と氏神と鎮守の神

古代から各氏族は「本居」又は「生土」すなわち「うぶすな」の神を「氏神」として尊崇した。

それが長い年月に渡って、一族の祖神としての氏神が産土神と同一であれ、違うものであれ、信仰的な親近感によって結び付けられてきた。

と、書いてありました。

江戸時代末期からの国学者らも様々に解釈していたようです。

 

要するに、

地縁的つながりの産土神、血縁的つながりの氏神だったのでしょうが、

そこは長~~~い歴史のある日本。

 

氏神・産土神信仰と同時に発達してきた「鎮守の神」とも結びついて、

平安時代以降益々濃(こま)やかになっていった。

そうして中世以降、各地の山の神、田の神、産業の守護神の信仰的習俗とも関連して、種々の発達を示した。

産土神の信仰は全国的に氏子奉斎の中心となった。

それが明治維新以降の行政的制度としては「氏神氏子」の用語で公に称されるようになったという。

 

【補足】

教派神道の神理教の教主で国学者の佐野経彦(さの つねひこ/1834~1906年)は、『宇夫須根神考』で、「うぶすな」は、「うぶすに」とも「うぶす根」とも通じ「万物の生じる根」と解しているが、さらに「うぶすに」という語が「氏(うじ)」と同義で産土の神すなわち氏神だと説いていることもあって、

この教団も現代に続いているのですが、公式サイトを拝見すると、確かにその教えの中にも「産須根をさかのぼれば…」と出ていました。

 

 

うぶすなの神の信仰

時代と共に氏神祭の祭祀と産土神の祭祀は共通化していくが、

上代以来、氏神祭にはそれぞれの氏族において特殊の様相が存在し、

一方で氏神信仰は広く源平藤橘(げんぺいとうきつ)の氏族的信仰としての形式をもそなえていて、実際にはそれらを概括的に捉えるわけには行かない。

特に中世以降、全国的に郷土的、集落的な生活が発達して各地方の習俗が発展・固定化するにつれて、それぞれの特殊神事、郷土祭祀が形成されてきた。

 

 一方、うぶすな信仰は、その語の意味からも子供の出生と関連して意識するところが多く、近世になると「初宮参り」や「お宮参り」を「うぶすな詣」と称する例が多く見られた。

その裏付けとして、近世の神道思想では、産須那の神の幽世における性格が積極的に説かれることが顕著となった。

 

すなわち産土神(各地の鎮守の神、氏神)は、その氏子を常に守護しつつ、

その帰幽後(死後)の霊魂を導き、顕世(現世・生前)における行動を審判し、

また、ともにその郷土を守護するというもので、

『日本書紀』の「神代紀」にいう幽冥主宰の大国主神に報告・連絡するという信仰である。

その信仰は10月(神無月)の出雲大社における「神在月」の信仰として伝説化された。

 

産土神はこれ土地の霊(みたま)なるが、大八洲に各自の国魂ノ神あり。

日本古代における土地に内在する神霊、その神がその土地を「うしはく」信仰や幽世の観念などが遠くその源流を成している。

 

※うしはく 威力に富む神が特殊な由縁によって一定の地域や場所を占めるといった意味がある。