御祭神が定まるまでの経緯
大昔、まだ神道が確立されておらず、狩猟採集民だった縄文人は自然の精霊を崇拝していました。
それらは
「ミ」(神・霊)
「チ」(霊)
「タマ」(魂・霊・魄)
「モノ」(物)
「ケ」(怪)
「ヌシ」(主)
と呼ばれる存在の事で、
今で言う龍の蛟(ミズチ) 雷(イカヅチ) 大蛇(オロチ) 物の怪(モノノケ) 木霊(コダマ)
など。
(もののけ姫というアニメ映画もありましたね。)
奈良県桜井市にある大神神社(おおみわじんじゃ)に祀られる大物主神という神名の「ヌシ」は山や川に古くから住んでいる霊力ある動物の事で、ここでは蛇を指している。
ちなみに「神」という漢字も分解すると「示」=祭壇を表す象形文字 「申」=雷 稲妻が伸びる姿を現す象形文字で、自然の霊力を意味している。稲は稲妻によって実を結ぶと考えられてきた。
神という漢字にも戦慄を覚えるような存在との意味がある。
参考に常陸風土記にある夜刀(やと)の神についても神と人間の関係を示す伝承として、紹介する記事はこちらです。
という訳で山や木、河、岩石に依りつく驚異的な力を示す存在や現象を全て神として崇め、
のちに稲作文化も取り込まれ八百万(やおよろず)の神様をお祀りしてきたわけです。
ですから、神社が出来上がる頃の御祭神は、
地名や神社名に神をつけた「〇〇神」といった名前で、
「その土地や神社に現れた神」として認識されていたようです。
これらの神は自然を象徴する側面が強く、同時に地域の人達の地主神(じぬしがみ)や、
血縁関係に当たる人達の氏神(うじがみ)的な神様でした。
実際に、平安時代の10世紀に成立した『延喜式神名帳(えんぎしきじんみょうちょう)』に記載されている2861か所の神社のほとんどは、具体的な御祭神名が明記されていません。
さらに奈良時代の8世紀に成立した『古事記』『日本書紀』や日本最古の和歌集『万葉集』、地域の風土を記録編纂した『風土記』などに遡(さかのぼ)っても、
御祭神名が明らかにされていたのは、伊勢の神宮などの限られた神社だけで、その数は決して多くはありません。
それが10世紀を過ぎるころになると、『古事記』や『日本書紀』に出てくるような神様の名が様々な文献に見られるようになってきます。
また、全国的に有名な神様を勧請(かんじょう)する例も多く出てきました。
例えば八幡様、お稲荷様など。
それ以外にも仏教や道教など外来宗教の影響がみられる御祭神の例もあります。
こうして長い年月をかけて神社ごとに人格的な名前を持つ御祭神が定まっていきました。
ですから、同じ名の御祭神を祀ってあっても、神社によりそれぞれの歴史があり、
一つとして同じ神社は無いのだそうです。
氏神・産土神・鎮守神・崇敬神社
神社を氏神(うじがみ)様、産土(うぶすな)神様、鎮守(ちんじゅ)神様と呼ぶこともあります。
【氏神】 元々の意味は同じ氏族が共同で祀った祖先神又は守護神のこと
【産土神】人々が生まれ育った土地の守護神のこと
【鎮守神】国や地域、寺院、王城など一定の区域・場所を守護する神のこと
これらの神様は、時代の変遷(へんせん)とともに、同じ意味に使われるようになりました。
産土神の鎮座(ちんざ)する周辺の一定地域に居住する人々を産子(うぶこ)と言いますが、
今では氏神・氏子(うじこ)という言い方が一般的です。
【崇敬(すうけい)神社】
自分が生まれ育った土地や、現在、暮らしているところに鎮座する神社とは別に、個人的な信仰によって崇敬する神社をいう。
由緒や地理的な事情により氏子を持たない神社もあり、そうした神社では崇敬会などの組織が設けられている事もあります。
このような氏神様と崇敬神社を共に信仰・崇敬することには、何ら問題はありません。
《参考図書》は、いつものように
「神社のいろは」監修・神社本庁 「イチから知りたい!神道の本」三橋 建・著でした。
私が乳児の頃に家族と住んでいたという場所の近くにある通称:蛇窪神社も、
正式名称は天祖神社ですから主祭神は天照大御神ですが(配祀・天児屋根命と応神天皇)
旧地名が蛇窪で、その由緒略記を読むと、やはり古くからその地域に蛇(白蛇)がヌシとして住んでいたのではないかと思いました。
鎌倉時代1272年11月10日に北条四郎左近大夫陸奥守重時は五男の時千代に多数の家臣を与えてこの蛇窪の地域を開くよう諭(さと)して、自らはこの地を去り…途中省略、
その後、時千代が開拓し、お寺を開山したりして、50年ほど過ぎた1322年に武蔵の国一帯が大干ばつとなり、近くの古池のほとりにある龍神社に法密上人という僧侶が雨ごいの断食祈願をしたのだそうです。
そうしたら大雨が降って大飢饉の危機を免れることができたので、感激した時千代の旧家臣たちか、その土地の豪農が神社(神明社)を勧請したのが創建の由来とか。
このことから、天照大御神様を勧請する以前に、この土地には龍神が祀られていたと分かります。
また鎌倉時代、社殿の左横に清水が湧き出る洗い場があり、そこに白蛇が住んでいましたが、
時が遷りいつの間にか洗い場が無くなり、やむなく白蛇は別の戸越公園の池に移り住むようになりました。
ある時、土地の旧家の森谷氏の夢枕に白蛇が現れ、「一日も早く元の住かに帰してほしい」と懇願されたので、宮司に伝えたところ、弁財天を建立し白蛇を祀るに至りました。
その白蛇を迎える日の夜、お迎えの祝詞を奏上しようとしたとき、それまでの輝くばかりの星空が一転にわかに曇り、雷鳴と共に大風が立ち起こりその様は身のすくむ思いだったということです。