幽冥界ー人々の承認による神道の死後の世界観ー
古学(いにしえまなび)する徒は、大倭心(やまとごころ)を固めるために、死後の「霊の行方の安定(しずまり)」を知る事が必要だと江戸時代の国学者・平田篤胤は著書『霊能真柱』の冒頭部で述べている。
なぜなら、それまで古学者として生きてきた者も、いざ死に直面すると極楽往生を願ったり、仏にすがろうとするからだ。
篤胤の師である本居宣長は、死後の霊魂が赴く世界について
「貴賤や生前の行いの善悪問わず、全て黄泉の国へ行く」としたが、
死後の霊魂が暗く穢れた黄泉の国に往くというのでは、多くの人々は承認できず、
古伝説や体験的事実に照らし合わせても、黄泉に行くという説は誤りであると篤胤は批判した。
そして死後の世界として「幽冥界」を提唱した。
幽冥界とは具体的には、この世にあるお墓や神社を指し、
死後の霊魂はそこに鎮まって、この世の人間の活動を見守り、
正義のために支援する働きをなすと説いている。
『神社のいろは 要語集 宗教編』より
という訳で、神道における死後の世界は「人々の承認」によって外されたり、受け入れられていました。
何て言うか…民主的な宗教で良いかもしれない。
そもそも死後の世界なんて、あるのか?ないのか?は、
生きている人には確かめようのない世界だから、
生きている人達が望ましいように思い描くしかない。
今まで私は、亡くなった人の霊には仏式のお葬式や仏壇前で手を合わしたり、お寺やお墓参りした時に想いを馳せる事が多かったけど、
神社にお参りした時にも幽冥界に繋がれるなら、今度意識してみようと思いました。