11世紀後半 中世社会の幕開け | 心の鏡

心の鏡

天の霊妙不可思議な法則、神道について書いているブログ。心の鏡とは内在神を表し、神社のおみくじの神の教に「神様の御光が我が心の鏡に映るその時、凡ての心の曇り、心の闇は晴れゆきて、広き明き御恵みを授かる事が叶う」とあったところから命名しました。

しばらく神道の歴史テーマが止まってしまってどうもすみません。

これから平安時代の中頃から鎌倉時代に繋がる時代について書こうと思います。

 

  藤原氏の娘から皇子が生まれず摂関政治から院政政治へ

平安時代には藤原氏が天皇の外戚として権勢をふるい摂関政治を行ってきましたが、

11世紀後半になると藤原道長の跡継ぎで摂関家の長となった頼道の娘からは皇子は生まれず、藤原氏を直接の外戚にもたない第71代・後三条天皇が即位されました。

後三条天皇は摂関を置かず親政を行われました。

そしてその次の第72代・白河天皇は、まだ幼少だった堀河天皇に譲位し上皇になられました。

その時代は、どうも天皇であるとかえって身動きとりづらいようで、

上皇は朝廷の実質的指導者・治天(ちてん)の君(きみ)として

院庁(いんのちょう)を開き、天皇を後見しながら政治を行う院政を敷かれました。

院政では、院庁から出される院庁下文(いんのちょうくだしぶみ)や上皇の命である院宣(いんぜん)が出されました。

以降、上皇中心に政治が行われた11世紀後半から13世紀初頭までを院政期と言います。

 

  権利や制度、大寺院の僧兵

この時代には上級貴族や寺社に一国の知行権(国務権)を与える制度や上皇が所有される院分国(いんぶんこく)の制度が広がりました。

それで上皇や有力貴族、大社寺への荘園の寄進も増加しました。

全国に多くの荘園を所有した大寺院は僧兵を組織して国司と争ったり、神木や神輿を先頭に立てて朝廷に強訴したりもしました。

 

  奥州藤原氏

一方、奥州藤原氏など地方の武士も勢力を伸ばしていきます。