第40代・天武天皇紀《2》天文や占星学にも通じていた/国家的大祓 | 心の鏡

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天の霊妙不可思議な法則、神道について書いているブログ。心の鏡とは内在神を表し、神社のおみくじの神の教に「神様の御光が我が心の鏡に映るその時、凡ての心の曇り、心の闇は晴れゆきて、広き明き御恵みを授かる事が叶う」とあったところから命名しました。

大海人皇子は飛鳥浄御原宮(あすかのきよみはらのみや)で即位し、天武天皇となりました。

 

※飛鳥浄御原宮は現在の奈良県明日香村にあったと言われています。

 

また天皇は天文や占星にも通じていたと言われています。

 

※壬申の乱の戦いの間にも筮竹を手に占ったそうで、

「天下は二分していても、ついには我々が勝利すると出ている」という占断だったそうです。

 

そして歴代天皇に倣い神々を大切にされた天皇は愛娘の大来皇女(おおくのひめみこ)を伊勢の斎王にしました。

伊勢へ行くまでのしばらくの間、皇女は心身を清める為、

泊瀬斎宮(はつせのいつきのみや)と言って現在の奈良県桜井市にあったと言われている所に住まわれました。

 

即位から5年

天皇は国々に大解除(おおはらえ)を命じました。

これは国家的な儀式としての大祓の初見といわれます。

 

また同年9月

新嘗祭(になめさい)の為のお米を作る場所が、

亀の甲羅を熱しひびの形で御神意を伺う占いで決められました。

悠紀(ゆき)は尾張の国(現在の愛知県)

主基(すき)は丹波の国(現在の京都府の北部あたりと兵庫県東部)

 

8年

6人の皇子を吉野に集め、皆が協力し未来永劫皇位継承争いをしないよう誓いを立てさせました。「吉野の会盟」と呼ばれます

 

10年

天皇は「律令編纂」と「帝紀及び上古の諸事」を記録するよう命じました。

これが日本書紀編纂のスタートであったと考えられています

また服制を改革します

 

13年

八色の姓(やくさのかばね)定める

 

14年

新たな冠位制も定め皇族を中心とする律令体制を整備してゆきました

11月24日には天皇の為に招魂(みたまふり)が行われました。

天皇陛下の元気をお祈りするお祭りで、現在でも宮中で行われています

 

そのうち天武天皇にも病魔が忍び寄り、

「草薙剣の祟りがあるらしい」という占いの結果に従い、

熱田社でお祭りしました。

しかし病は癒えることなく…

朱鳥(あかみとり)元年(686年)皇后と皇太子(草壁皇子)に今後の政治を託して崩御されました。