第32代 崇峻天皇紀  | 心の鏡

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このブログは主に神道について書いています。ブログタイトルの心の鏡とは内在神を表し、神社のおみくじの神の教に「神様の御光が我が心の鏡に映るその時、凡ての心の曇り、心の闇は晴れゆきて、広き明き御恵みを授かる事が叶う」とあったところから命名しました。

第31代・用明天皇は、わずか2年で崩御しました。

その後、異母弟の崇峻天皇が即位されますが、その前紀では、

蘇我馬子が策謀して皇位を狙う穴穂部皇子を討ち、

次に厩戸皇子(うまやとのみこ・のちの聖徳太子)などと協力し仏法の守護神である四天王に勝利の願いが叶ったら寺を建てると誓い、仏法の加護も得て、物部守屋を滅ぼしたとあります。

 

こうして崇峻天皇が即位されると、蘇我馬子が法興寺を創建し、多くのものが出家します。

 

崇峻天皇は任那再建の兵を九州に進めますが、

臣下のくせに日に日に独裁を強める馬子への反感や不満から、

ある日イノシシを献上する者があった時、

天皇は刀を抜いてイノシシの目を刺し、

「いつかこのイノシシの首を斬るように、憎き者を斬りたいものだ」と発言し、その事を聞きつけた馬子が、

「天皇は私を嫌っておる」と察して警戒し、

蘇我馬子は東漢直駒(やまとのあぐのあたいこま)に崇峻天皇の暗殺を命じ決行されてしまいました。

 

以上、崇峻天皇紀でした。

 

私が思うに、蘇我馬子はちゃんと仏の教えを学んでないんじゃないか?権力に執着して欲深いし殺生もするし。

ただ周辺諸国で流行りの仏教を利用して政治的にのし上がりたかっただけでは?

その為に自分の一族の女子たちを天皇の后にして御子を生ませ、皇位につけることで外戚として幅を利かせようとしてきた。

それと父親である蘇我稲目の受けた屈辱を晴らす為というのもあったと思う。

もう相手と争っているうちに物事の本質やら国益を考えるのを忘れて対立する相手を屈服させてやる事が目的になっていたかもしれない。

色即是空とか諸行無常とか理解しているようには思えない言動である。