継体天皇が崩御し、第27代には継体天皇と尾張目子媛(おわりのめのこひめ)との間にお生まれになった
安閑(あんかん)天皇(西暦531~535年)が即位され、
第28代には、その兄弟の宣化(せんか)天皇(西暦535~539年?)が皇位を継承します。
安閑天皇紀では、后妃の為に屯倉(みやけ)を設けたほかに、諸国に多くの屯倉が設置されました。
屯倉とは、時代ごとにその性格が変わりますが、朝廷の直轄領といった意味合いです。
あと武蔵国造の同族内争いを上手く裁定して感謝されたとか。
宣化天皇紀では、筑紫(那津)に穀物を納めて凶作に備え、賓客をもてなす為の宮家を建てています。
また大伴狭手彦を遣わして新羅の侵攻から任那を守り百済も救援していました。
で、この血筋での皇位継承はここで絶たれていました。
次に継体天皇と武烈天皇の妹か姉?の手白香皇女(たしらかのひめみこ)との間にお生まれになっていた異母兄弟の皇子へと皇位は移りました。