第26代継体天皇紀/応神天皇5世孫、謎の継承 | 心の鏡

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天の霊妙不可思議な法則、神道について書いているブログ。心の鏡とは内在神を表し、神社のおみくじの神の教に「神様の御光が我が心の鏡に映るその時、凡ての心の曇り、心の闇は晴れゆきて、広き明き御恵みを授かる事が叶う」とあったところから命名しました。

残虐非道な武烈天皇には跡継ぎがおりませんでしたので、

越前国(福井県と岐阜県の一部)から、男大述王(おおどのおう)が迎えられ即位しました。

父方が応神天皇5世孫で母方が垂仁天皇8世孫となる方でした。

 

が、何故かその出自を巡り今なおも論争が続く!

謎の大王とも言われ、古代史上でも極めて特異な天皇であると

『古代天皇の謎と秘史』には7ページも割かれてました。

福井県に建つ継体天皇像や略系図に移動経路、復元された冠などの写真もあって分かりやすいですね。

 

『神話のおへそ 日本書紀編』では、13行くらいしか無くて、

出自を疑う説もありますが、現在失われている『日本書紀の系図1巻』に書かれているので、『釈日本紀』には系譜が略されているのだろうという事と、

6年(西暦512年)当時の朝鮮半島の任那(みまな)の4県を百済に割譲された事やら、その時に大伴金村が百済からわいろを受けたとの噂が広まり、のちの失脚へとつながったとか、割譲の見返りに百済から五経博士が貢上されました。

と、言った内容で、

五経博士というの儒教の経典である詩・書・礼・易・春秋を教え研究する官僚のことだそうです。

 

それと21年に新羅の攻撃を受けた百済救援の為、6万の軍勢を送りますが、筑紫国造磐井が新羅と手を結んで反乱を起こして救援はとん挫します。

翌年の22年に物部あらかひを大将軍となって出征し、磐井を斬りました。

任那には近江毛野臣(おうみのけなのおみ)が派遣されますが、失政の為、呼び返され、途中の対馬で病死します。

 

と、まあ、このくらい。