第16代・仁徳天皇紀 | 心の鏡

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天の霊妙不可思議な法則、神道について書いているブログ。心の鏡とは内在神を表し、神社のおみくじの神の教に「神様の御光が我が心の鏡に映るその時、凡ての心の曇り、心の闇は晴れゆきて、広き明き御恵みを授かる事が叶う」とあったところから命名しました。

しばらく天皇紀の更新が滞っていましたが、

応神天皇の次の代仁徳天皇紀を簡略にご紹介します。

 

応神天皇の皇太子、う道稚郎子(うじのわきいつらこ)は即位を辞退して

兄と皇位を譲り合い、そしてついに、うじのわきいつらこが自殺して

仁徳天皇の即位となります。

 

仁徳天皇は4年(316年)高殿から国を見渡し、

民家の竈門から立ち上るはずの炊飯時の煙が少ないのを見て、その困窮を知り、

3年の間、今で言う納税免除をします。

これによって民は豊かになり、傷んでいた皇居の造営を進んで引き受け、

天皇を聖帝(ひじりのみかど)と讃えました。

 

22年 天皇は異母妹の八田皇女(やたのひめみこ)を妃に召そうとして皇后の賛同を得ようとして歌を贈りますが皇后は許しませんでした。

 

30年 皇后が不在の時に天皇は八田皇女を召したので皇后は恨んで、山城の筒城宮(つつきのみや、今の京都府京田辺市)に引きこもってしまい、そのままなくなります。

その後、八田皇女は皇后になりました。

 

65年 飛騨の国(今の岐阜県北部)に、体一つに顔が前後に二つ、手足がそれぞれ二本づつ、計8本ある宿儺(すくな)という怪物がいて、朝廷の命令に従わず、民をかすめていたので、和珥(わに)氏の祖・武振熊(たけふるくま)を遣わして誅殺しました。

 

67年 御陵を石津原(いしつのはら)今の大阪府堺市に定めて造営を開始したところ、一匹の鹿が役夫の中に走って来て死にました。

そうすると、その鹿の耳の傷の中から百舌鳥(もず)が出て来て飛び去りました。

よってその地を百舌鳥耳原(もずのみみはら)と名付けました。

これは仁徳天皇陵をはじめとする「百舌鳥古墳群」がある地名の由来です。

 

以上です。

 

私としては、最初に応神天皇の皇太子だった弟皇子が、

自殺するほど嫌だった皇位継承の理由が気になりました。

 

あとは皇后と妃の件も、現代人の私から見ると、

なんか、そういう事は正妻である皇后に事前に相談したり許しを得る必要があったのかなぁ?と疑問です。

しかも帝(みかど)という高位な方で、それでも自分の奥さんには

『これから他の女と、しかも異母妹なんだけど床を共にしたいと思うんだけどいい?』と了承を得るのが当時の常識だったのだろうか?

そんなの相談されても快く承諾する妻はいないんじゃないの?昔から普遍的な女心として。

 

それから、怪物の宿儺。これはまた漢字が出せないかと思いましたが、幸いマンガの呪術廻戦という作品の中にこの「宿儺」の指というのが出てくる事から、「宿儺の指」と打ったらすぐに出てくれました。

日本書紀では飛騨にいた怪物って話ですが、そのマンガでは仙台が出て来て、

そこの和菓子の喜久福が美味しいと紹介されていたらしいのですが、

昔から萩の月が好きな私は『仙台って言ったら萩の月じゃないんかーい!』と一人で思っていました。