第15代応神天皇紀(八幡様)1/古来より占いで決める日本 | 心の鏡

心の鏡

このブログは主に神道について書いています。ブログタイトルの心の鏡とは内在神を表し、神社のおみくじの神の教に「神様の御光が我が心の鏡に映るその時、凡ての心の曇り、心の闇は晴れゆきて、広き明き御恵みを授かる事が叶う」とあったところから命名しました。

神功皇后が亡き仲哀天皇に代わって、

武内宿禰(たけのうちのすくね)が琴を奏で、

審神者(さにわ)と言ってご神託を聞き、意味を解く人の役に中臣烏賊津使主(なかとみの いかつのおみ)と共に七日間神に祈り、

「先日仲哀天皇に神託を下したのはどちらの神様でしょうか」とお尋ねしたところ、

天照大神の荒魂

稚日女尊(わかるひめのみこと)

事代神(ことしろのかみ)

住吉三神(すみよしさんしん)

が現れ、神々の言葉通りにお祀りすると熊襲(くまそ)は難なく服従しました。

 

それから皇后は肥前=現在の佐賀県唐津市あたりで「西の宝の国」が得られるか?を占うために、

これまでも天照大神と須佐之男命の神代から繰り返し出てきました「誓約(うけい)」ですが、「釣れたら願いは叶う」として釣りをし、見事に珍しい魚が釣れました。

この魚を魚へんに占うと書いて鮎と言います。

 

(少し前に当ブログにも書いた丹生川上神社あたりで神武天皇が戦勝を占うのに川に酒を流し浮かんできた魚も鮎という話もありましたね。)

 

そこで皇后が「めずらしい」と言ったことから梅豆ら(めづら)の国と名付けられました。

現在の松浦です。

 

それから香椎宮あたりの海で髪を清めようと入り、

海の向こうの宝の国・新羅を攻めるのに「神様のお力を賜れるなら、髪よ自ら分かれよ!」と言って頭を海水に入れて上げたところ、分かれました。

 

それからその髪をみずらに結って戦支度を始めましたが、難航したので大三輪の社(おおみわのやしろ・現在の福岡県朝倉郡筑前町の大己貴神社)を建て武器を奉納すると、たちまち船や兵が集まりました。

そしてその時、皇后は懐妊していたので、出産を遅らそうとおなかに石をまいて出航しました。

船は波ごと新羅に流れ込み一気に都に到着し、新羅だけでなく百済(くだら)・高句麗(こうくり)と三韓征伐(あるいは三韓征討)を果たしました。

 

日本に戻ってくると今の宇美八幡宮のある場所で皇子が生まれました。

誉田別尊/品陀別命(ほむだわけのみこと)のちの第15代応神天皇です。

 

そして遠征に大きな導きを賜った住吉三神の荒魂が現在の山口県下関市にお祀りされました。神主・ほむたち。長門国一之宮 住吉神社の事です。

 

ご神託で世継ぎとされた誉田別尊でしたが、仲哀天皇には先に神功皇后とは別の女性との間にも皇子が生まれていました。

籠坂王(かごさかのみこ)、忍熊王(おくしまのみこ)と言う異母兄二人は

赤ん坊の世継ぎなど許せるはずもありません。

そこで二人は「我らが勝てるか占おう」と誓約狩りをして、狩りの結果から御神意を伺いました。

その結果、イノシシに食われるなど不吉な結果が出てしまい一旦退却。

忍熊王は、改めて住吉に陣を置きました。

 

皇后は忍熊軍を避けて南へ迂回し、難波へ向かいますが船がぐるぐる回転し全く進めず、

御神意を仰ぐと、三韓征討の神々が再び現れました。

(つづく)