日本武尊の話の次は、その息子、第14代 仲哀天皇紀です。
いつの間にか日本武尊には子供がいて、第2子が仲哀天皇。
容姿端麗で長身だったそうです。
そして、天皇即位後8年目の秋、またもや熊襲が反抗したので、天皇は熊襲征伐の為、九州に遠征しました。
その時、皇后の気長足姫尊(おきながたらしひめのみこと)に神憑り、
「熊襲を討つより、宝の国・新羅があるから、我を祭って、これを服従せしめよ。」
とご神託がありました。
仲哀天皇は「神祭りは大切にしておりますので・・・」と、
神の言葉に耳を傾けることなく、疑いました。
神は「何を言うかこの愚か者!汝がこの国を保つことはできなだろう。皇后のおなかの子が、この国を治めるだろう。」と怒りました。
この時のおなかの子が、のちの応神天皇、八幡様です。
そして仲哀天皇は突然崩御してしまいます。
今の福岡市の香椎宮あたりで。
つづく