応神天皇紀(八幡様)2/兵庫・大阪の神社の由緒 | 心の鏡

心の鏡

天の霊妙不可思議な法則、神道について書いているブログ。心の鏡とは内在神を表し、神社のおみくじの神の教に「神様の御光が我が心の鏡に映るその時、凡ての心の曇り、心の闇は晴れゆきて、広き明き御恵みを授かる事が叶う」とあったところから命名しました。

神功皇后は難波へ向かいましたが船がぐるぐる回転し、進めなかったので御神意を仰ぐと

 

天照大御神の荒魂(あらみたま)は

「我が荒魂を廣田の国に祀りなさい」とおっしゃったので「はやまひめ」に祀らせました。

現在の兵庫県西宮市に鎮座する廣田神社です。

 

稚日女尊(わかるひめのみこと)は

「我は活田(いくた)の長狭(ながさ)の国にという事で、

「うなかみのいさち」に祀らせました。

現在の兵庫県神戸市に鎮座する生田神社です。

 

事代主命(ことしろぬしのみこと)は

「我は長田国(ながたのくに)へ」とのことで

「ながひめ」に祀らせました。

現在の兵庫県神戸市に鎮座する長田神社です。

 

住吉三神は、

「我らの和魂(にぎみたま)を大津の、ぬ中倉(ぬなくら)の長狭に祀りなさい。ここで船の安全を見守ろう」ということで祀られたのが、現在の大阪府大阪市住吉区に鎮座する住吉大社です。

 

そして忍熊王(おしくまのみこ)が待ち構える陣地に武内宿禰(たけうちすくね)が兵を率いて乗り込み、

忍熊に「お互いに武器を捨て和睦しよう」と持ち掛け、武器を捨て、

敵も武器を捨てたところで、密かに捨てずにいた弓を放って騙し討ちしました。

 

ズルいですが、こうして仲哀天皇が他の女に産ませた皇子も討ち取り、

平穏が訪れ、誉田別尊/あるいは品陀別命(ほむたわけのみこと)は、皇太子となりました。

皇太后(おおきさき)が摂政となって2年目、仲哀天皇を長野陵(ながののみささぎ)現在の大阪府藤井寺市にお祀りしました。

(つづく)