神功皇后は難波へ向かいましたが船がぐるぐる回転し、進めなかったので御神意を仰ぐと
天照大御神の荒魂(あらみたま)は
「我が荒魂を廣田の国に祀りなさい」とおっしゃったので「はやまひめ」に祀らせました。
現在の兵庫県西宮市に鎮座する廣田神社です。
稚日女尊(わかるひめのみこと)は
「我は活田(いくた)の長狭(ながさ)の国にという事で、
「うなかみのいさち」に祀らせました。
現在の兵庫県神戸市に鎮座する生田神社です。
事代主命(ことしろぬしのみこと)は
「我は長田国(ながたのくに)へ」とのことで
「ながひめ」に祀らせました。
現在の兵庫県神戸市に鎮座する長田神社です。
住吉三神は、
「我らの和魂(にぎみたま)を大津の、ぬ中倉(ぬなくら)の長狭に祀りなさい。ここで船の安全を見守ろう」ということで祀られたのが、現在の大阪府大阪市住吉区に鎮座する住吉大社です。
そして忍熊王(おしくまのみこ)が待ち構える陣地に武内宿禰(たけうちすくね)が兵を率いて乗り込み、
忍熊に「お互いに武器を捨て和睦しよう」と持ち掛け、武器を捨て、
敵も武器を捨てたところで、密かに捨てずにいた弓を放って騙し討ちしました。
ズルいですが、こうして仲哀天皇が他の女に産ませた皇子も討ち取り、
平穏が訪れ、誉田別尊/あるいは品陀別命(ほむたわけのみこと)は、皇太子となりました。
皇太后(おおきさき)が摂政となって2年目、仲哀天皇を長野陵(ながののみささぎ)現在の大阪府藤井寺市にお祀りしました。
(つづく)