崇神天皇の御代における疫病や飢饉など災難の連続は、
大物主神の祟りでしたが、
その大物主神とは、以前このブログの
八岐大蛇退治/宝剣出現章 第八段 一書 第六 で、
少彦名命が常世の国へ帰ってしまった後、
大国主命(大己貴命)が一人で出雲の海辺で国づくりについて考えていたら、
海から不思議な光が現れ、
その光は「大国主命自身の幸魂・奇魂である」と言って、
その後、「大和国の三諸山に住もうと思う」とおっしゃってた、その神様です。
それで大田田根子が生まれるまでの経緯ですが、
昔、陶津耳命(すえつみみのみこと)に活玉依姫(いくたまよりひめ)という美しい娘がおりました。
ある時から毎晩、麗しく威厳のある立派な男が活玉依姫の元に通うようになりました。
そして活玉依姫は、さほど時も経ずに身ごもりました。
そこで両親は不思議に思い、
「お前は夫もいないのに、どうして身ごもったのだ」と娘に尋ねると、
「名前も素性も知りませんが麗しい男が夜になるとやって来て、ともに時間を過ごしている間に自然と身ごもりました。」というので、
両親は相手の正体を知りたいと思い、娘に
「赤土を床の前に散らして置き、糸巻に麻糸をまいて針に糸を通しておき、その男の着物の裾に刺しておきなさい。」と言いつけました。
娘は両親の言う通りにして、翌朝見てみると、その意図は戸の鍵穴を通って残った麻糸は糸巻に3わだけでした。
糸をたどって行くと、三輪山の神の社に留まっていました。
それで身ごもった子が神の子だと知ったのです。
三輪山=三諸山に祀られる神とはつまり大物主大神の事です。
系譜としては、そうして生まれたのが櫛御方命(くしみかたのみこと)→で、次の代が飯肩巣見命(いいかたすみのみこと)→建甕槌命(たけみかづちのみこと)→大田田根子(意富多多泥古とも書く)です。
先に神武天皇の后は、その母、せやだたらひめと大物主神との間の子という伝承がありましたが、それと似た話です。
さらに大物主神は、崇神天皇の前で神憑りした倭ととびモモソヒメの命も妻に娶ります。
モモソヒメは、大物主神がいつも夜だけしか通ってこなかったので、
「たまには昼間に会いたい」と言うと、
「じゃあ明日、櫛箱の中にいるからその姿を見ても驚かないで」と答えました。
次の日、箱を開けるとそこにはなんと!小さな蛇がいたので、
思わず驚いて叫び声をあげてしまいました。
大物主神は「恥をかかされた!」と怒って三輪山に帰ってしまい、
モモソヒメががっかりして座った時、箸が下腹部に刺さって亡くなってしまいました。
(この部分、姫が箸を自分で刺して、とも言われています)
そこで作った墓を箸墓と言い、昼は人が作り夜は神が作りました。