第10代崇神天皇紀/疫病が流行、国家による祭祀制度 | 心の鏡

心の鏡

天の霊妙不可思議な法則、神道について書いているブログ。心の鏡とは内在神を表し、神社のおみくじの神の教に「神様の御光が我が心の鏡に映るその時、凡ての心の曇り、心の闇は晴れゆきて、広き明き御恵みを授かる事が叶う」とあったところから命名しました。

第10代は御間城入五十瓊殖(みまきいりびこいそにえのすめらぎみこと)

=崇神天皇(すじんてんのう)です。

「みまきいりひこいにえのみこと」を御真木入日子印恵命と書き表している本もありました。

 

崇神天皇は、師木(しき)の水垣宮(みずがきのみや)にて国を治められました。

(御子は12柱。つまりお子さんは12人もいらしたのでした。)

 

ご即位5年から国内に疫病が大流行し、人が沢山亡くなって、多く流浪するような状況になり、反乱を起こすものまで現れました。

こうして人心が荒廃し国を治める事が難しくなった為、

天皇は大変憂い嘆かれて、朝夕、天神地祇(てんじんちぎ)に祈られました。

 

さらに、それまでは、天孫降臨の際に天照大神から瓊瓊杵尊が

「この鏡は私の御霊として大切に祀りなさい」という宝鏡奉斎の神勅が下されて以来、

天皇の住まいである皇居内に倭大国魂(やまとおおくにたま)と共に祀られてきましたが、

崇神天皇は神の勢いを畏れて「共に住みたまふに安からず」として、

皇女の豊鍬入媛命(とよすきいりびめのみこと)に天照大神を託して、

倭の笠縫邑(かさぬいのむら)に祀り立派な神の依り代を立てました。

※天照大神、つまり八咫鏡を皇居から移されたと解釈できる。この時草薙剣も一緒に持ち出されその写しが護身の霊器として作られたという事が古語拾遺に明記されている。

笠縫邑の比定地には諸説ある。

 

また、倭大国魂神を皇女の沼名城入姫(ぬなきいりびめ)命に託して祀らせました。

しかしこちらの姫は、なぜか髪が抜け体も痩せてしまって祀ることが出来ませんでした。

 

崇神7年 それでもまだ疫病がやまなかったので、天皇は神々を集めて占いをしたところ、

「やまとととびももそひめのみこと」第七代・考霊天皇の皇女に三輪山の大物主神が神憑(かか)り

「私を祀れば世は平安になるであろう」と告げました。

そこで天皇は大物主神を祀りますが、それでも状況は良くなりません。

 

 天皇は愁い嘆かれて、清らかな神床(かむどこ)にお休みになりました。

するとまた大物主神(おおものぬしのかみ)が夢枕に立ち、

「これは我が心である。わが子、大田田根子(おおたたねこ)によって、わが御前(みまえ)を斎(いつ)き祀らせたならば、祟りは鎮まり国は安らかに治まり、海外の国も帰服するであろう」との託宣があり、

さらに「やまととはやかむあさじはらまくわしひめ」(やまととびももそひめのみことの別名とも言われている)ら三人にも

大物主神を大田田根子に、

倭大国魂神を市磯長尾市(いちしのながおち)に祀らせれば

天下泰平になるとの夢のお告げもありました。

 

自分の夢との符合を喜んだ天皇は、大田田根子を探し出させ、その出自を尋ねると大物主神と活玉依姫(いくたまよりひめ)との間に生まれた子であることが分かりました。

 

そうして、大田田根子を大物主神の祭主とし、(三輪山の大神神社・奈良県桜井市)

長尾市(ながおち)を倭大国魂神の祭主としました。(大和神社・奈良県天理市)

また、あわせて八十万(やそよろず)の群神(もろがみ)を祭り、

天社(天つ神を祀る社)・国社(国つ神を祀るやしろ)

および神地(かむどころ/神が祀られている土地)・神戸(かんべ/神様に特別に奉仕する民のこと)も定めると、疫病は止んで国は安泰となりました。

 

※間違われやすいですが、大田田根子は男性です。

こうして崇神天皇が、神様の社・土地・奉仕する民などを定めた事が、神社制度の始まりと言えます。

すべての民が神々に繋がる仕組みを整えたんですね。

 

崇神天皇は神事を重んじる一方で、税制を整えました。

また、都から遠方はまだ乱れているということで、「四道将軍(よつのみちのいくさのきみ)」を派遣しました。

北陸(くぬがのみち)

東海(うみつみち)

西道(にしのみち)

丹波(たにわ)

に派遣された4人の皇族のことで、「しどうしょうぐん」とも読みます。

 

この頃、朝鮮半島の国・任那(みまな)から使者がやってきました。

わが国初の外交の記録です。貢物をもって挨拶にきたようです。

崇神天皇は初めの頃の国を治めた天皇と呼ばれ、ほめたたえられました。

 

余談ですが、神憑りした「やまとととびももそひめのみこと」のお墓は、最古の前方後円墳である箸墓古墳と言われています。

名前の漢字が全部変換できないのですみません。

さらに名前が「と」が3つ「も」2つ連続で、どこで切って読めばいいのか?よく分かりませんでしたが、『マンガならわかる!日本書紀』内で「モモソヒメ」とあったので、

「倭」 「とと日」 「百襲」 「姫」 「命」で分けて考えてみました。

最初は国の名の倭(やまと)だから、倭の国のという意味ではないかと自分なりに解釈 

次に、「とと日」これが名字みたいなものだろうか?

百襲(ももそ)というのが名前で姫は身分の良い女子の意味かな? 

命は神話の最初で説明がありましたが貴人に対する敬称のようです。

しかしまあ、百、襲う、あるいは襲われるとは・・・。

昔の意味は今の漢字の意味と違っていたのかなぁ?

もうちょっと、女の子なら「桃祖」とか「桃素」とか、全国「桃ちゃん」のご先祖的な名前とか、

あるいは縁起良く百回蘇るで「百蘇」とかが良いんじゃないかと勝手に思ってました。