神武天皇紀【6】仇敵を討つ | 心の鏡

心の鏡

天の霊妙不可思議な法則、神道について書いているブログ。心の鏡とは内在神を表し、神社のおみくじの神の教に「神様の御光が我が心の鏡に映るその時、凡ての心の曇り、心の闇は晴れゆきて、広き明き御恵みを授かる事が叶う」とあったところから命名しました。

磐余彦尊は、八十健とその残党、そして兄磯城(えしき)を打ち破って、

とうとう、かつて白肩の津で戦い、兄・五瀬命を射た仇敵の長髄彦、または登美毘古(とみびこ)と書いてる本もありますが、とにかく再び戦いました。

《この時詠んだ歌》

みつみつし 久米の子らが 粟生(あわう)には 韮一本(かみらひともと)

そねが本(もと) そね芽繋ぎて 撃ちてし止まむ

 

《歌の大まかな意味》

久米の者どもが粟畑に生えたニラの根っこと芽をひとつなぎに根こそぎにするように撃たないでおくものか

「みつみつし」とは、天の御稜威(みいつ)=威光を戴くという意味です。

《もう一首》

みつみつし 久米の子らが 垣下(かきもと)に 植えし椒(はじかみ)

口ひひく 吾は忘れじ 撃ちてし止まむ

 

《歌の大まかな意味》

以前、敗退して山椒が口に辛いように 痛恨の極みだった。私はそれを忘れず、必ず撃ってやる!敵を倒すまで手を休めない。

 

両軍、戦っていると磐余彦軍は苦戦してきて氷雨(あるいは雹か?)まで降ってきました。

絶体絶命かと思われたその時・・・!

 

一羽のトビが磐余彦尊の弓に止まりました。

そして金色の光を放ち、敵兵たちは

「金鵄(きんし)だ!」と眩しさに目がくらんで、バタバタと倒れて行きました。

あるいは、金鵄に敵軍が混乱して戦意を失い、尊の軍が勝利を収めたとも言われています。

 

※それで当時の人々はこの地を「トビの邑(むら)」と名付けました。のちにそれがなまって「とみ」と言われるようになりました。

 

すると、饒速日命(にぎはやひのみこと)が参上して、

「天つ神の御子が天下られるとお聞きして、私も追いかけて天下ってまいりました。」と申し上げて、天つ神の御子の証となる宝器を献上してお仕えしました。

 

または、

磐余彦軍が優位に立ち、敗北が見えた長髄彦が、

奉じていた天津神の饒速日命に泣きついたところ、

「いい加減にしろ!お前はまだ天津神と人との違いも分からんのか!」と殺害した、とも書かれています。

饒速日命は磐余彦尊に帰順しました。

※饒速日命が登美毘古の妹の登美夜毘売を娶って生まれたのが、「宇摩志麻遅命(うましまじのみこと)」で物部氏の祖です 

 

まだ他にもこの場面の少し違う伝承があります。

(つづく)