国譲りと天孫の天下り/天孫降臨章 第九段 一書(第二)第二話 | 心の鏡

心の鏡

天の霊妙不可思議な法則、神道について書いているブログ。心の鏡とは内在神を表し、神社のおみくじの神の教に「神様の御光が我が心の鏡に映るその時、凡ての心の曇り、心の闇は晴れゆきて、広き明き御恵みを授かる事が叶う」とあったところから命名しました。

そこで大己貴神は

「天(あま)つ神の仰せは、まことにねんごろであります。どうして仰せに背くことがありましょうか。私の治めているこの現世は皇孫(すめみま)がお治め下さい。私は退いて幽事(かくれたること)をつかさどりましょう。」とお答えされ、岐神(ふなとのかみ)猿田彦神を二神に薦めて、

「この神が私に代わってお仕えします。私はここから隠退します」と申されて、

瑞(みず)の八尺瓊(やさかに)=大きい玉を身につけて永く隠れられました。

 

そこで経津主神(ふつぬしのかみ=香取神宮の主祭神)は、

岐神を先導役とし、国中を巡りながら平定されていきました。

反抗する者がいれば斬り殺し、従うものは褒めました。

 

この時、帰服した神の統領は大物主神と事代主神(ことしろぬしのかみ)で、

八十万(やそよろず)の神を天高市(あめのたけち)に集め、これを伴って天に昇り、忠誠を示しました。

 

高皇産霊尊(たかみむすびのみこと)は大物主神に

「そなたが国つ神を娶るのならば、私はまだそなたを疑ってしまうから、私の娘の三穂津姫(みほつひめ)を、そなたの妻としよう。そして八十万神を率いて永遠に皇孫を守るように」とおっしゃって帰らせました。

 

そして紀伊の国の忌部(いみべ)の先祖である手置帆負神(たおきほおいのかみ)を作笠者(かさぬい)とし、

彦狭知神(ひこさちのかみ)を作盾者(たてぬい)とし、

天目一筒神(あめまひとつのかみ)を作金者(かなだくみ)とし、

天日鷲神(あめのひわしのかみ)を作木綿者(ゆうつくり)とし、

櫛明玉神(くしあかるたまのかみ)を作玉者(たまつくり)としました。

 

太玉命(ふとたまのみこと)が、肩に太たすきをかけ、天孫の名代として大物主神を祀るようになったのは、これが始まりです。

 

天児屋根命(あめのこやねのみこと)は、神事をつかさどる宗源の者であるので、太占(ふとまに)によって仕えさせました。

 

そこで高皇産霊尊は

「私は天津神籬(あまつひもろぎ)と天津磐境(あまついわさか)を設けて、皇孫の為に祭りをしよう。天児屋根命と太玉命は天津神籬を持って葦原中つ国に降り、皇孫の為に祭りをせよ」と命じられ、

二神を天忍穂耳尊(あめのおしほみみのみこと)に従わせて降(くだ)らせました。

(つづく)

※神籬、磐境とは神様の依り付かれる依り代のこと。

木の場合は神木(しんぼく)、神籬(ひもろぎ)と言い、

岩の場合は磐座(いわくら)、磐境(いわさか)と言い、

山の場合は神奈備(かんなび)、神体山(しんたいさん)などと呼ばれています。

 

天忍穂耳尊は、天照大御神の御子です。