天岩戸/宝鏡開始章 第7段 本文 | 心の鏡

心の鏡

このブログは主に神道について書いています。ブログタイトルの心の鏡とは内在神を表し、神社のおみくじの神の教に「神様の御光が我が心の鏡に映るその時、凡ての心の曇り、心の闇は晴れゆきて、広き明き御恵みを授かる事が叶う」とあったところから命名しました。

その後、素戔嗚尊がなさった事は手がつけられないほどひどいものでした。

天照大御神の開いた天狭田(あめのさなだ)・長田という田んぼに、素戔嗚尊は、春には種もみを重ねまきしたり、畔(あぜ)を壊したり、秋には天斑駒(あめのぷちこま)を田んぼの中に放って田を荒したり、天照大神が新嘗祭をされようとするのを見て、その宮殿に密かにうんちをされたりしました。

また、天照大神が神衣を織る為に斎服殿(いみはたどの)にいらっしゃるのを見て、天斑駒の皮をはいで御殿の屋根に穴をあけて投げ入れました。

天照大神は大変驚かれ、「ひ」(木へんに予という字で、機織りに欠かせない道具。たて糸の間に横糸を通すときに使う)で、お体を傷つけられました。

これによってお怒りになり、天石窟(あめのいわや)に入って岩戸を閉じて引きこもりました。

そのため、国中が暗闇となり、昼夜の区別もつかなくなりました。

 

そこで八百万(やおよろず)の神々は、天安河(あめのやすかわ)の河原に集まり、どうしたらよいものか相談しました。

そこで深く思慮をめぐらされた思兼神(おもいかねのかみ)が、

常世の尾鳴鳥を集めて長く鳴かせ、

また手力男神(たじからおのかみ)を岩戸のそばに立たせ、

中臣連(なかとみのむらじ)の祖神である天児屋命(あめのこやねのみこと)と、

忌部(いみべ)の祖神である太玉命(ふとだまのみこと)が、

天香山(あめのかぐやま)の青々と茂った榊を根っこごと掘り起こし、

上の枝には八坂瓊の五百箇御統(やさかにのいおつのみすまる)をかけ、

中の枝には八咫鏡(やたのかがみ)、または真経津鏡(まふつのかがみ)ともいいますが、その鏡をかけ、

下の枝には青和幣(あおにきて)と白和幣(しろにきて)をかけて、ともにお祈り申し上げられました。

それから猿女(さるめ)の祖神である天鈿女(あめのうずめ)が、蔓をまいた矛を持ち、天の岩戸の前に立って巧みに舞い踊り、天香山の榊を

頭に飾り、つる草(サガリゴケ)のたすきをかけて、火を焚き、伏せた桶の上で踏み鳴らしながら霊的なものが乗り移った状態となりました。

 

すると天照大神は、外の賑やかな音を聞いて

『私は石窟にこもっているのだから、豊葦原中津国(とよあしはらのなかつくに)は暗闇になっているはずなのに、どうして天鈿女命は、あのように楽し気に笑っているのだろう?』と、気になって、細めに岩戸を開けて様子をうかがわれました。

その時、すかさず手力男神が天照大神の手を取って引き出しました。

そして中臣神と忌部神がしめ縄を石窟に張り渡し、

「再びお戻りになりませぬように」と申し上げました。

 

その後、神々は素戔嗚尊の罪に罰を与え、

千座置戸(ちくらおきと)と言って罪を償うための品々を差し出させ、

髪を抜いた、又は手足の爪を剥いで償わせたとも伝えられます。

こうしてついに高天原から追放したのでした。

 

【私のつぶやき】カバー写真は、うちの庭の榊です。

こうした榊の枝に沢山の玉を紐で通したロングネックレスみたいな飾りや、八咫鏡などをかけたそうなのですが、

もしかして昭和時代にクリスマスツリーを飾りつけるのが日本人の一般家庭に抵抗なく受け入れられたのは、その2千年以上前から似たような祭りをしていたからなのかもしれないと思いました。

 

それから、あの、昔、外国人の誰かが日本の神道は戒律も無くて宗教じゃないと言われたそうですが、神道にもやってはいけない罪はあります。農耕や神事の妨害ですね。