日本書紀の編纂目的とホツマツタエ | 心の鏡

心の鏡

天の霊妙不可思議な法則、神道について書いているブログ。心の鏡とは内在神を表し、神社のおみくじの神の教に「神様の御光が我が心の鏡に映るその時、凡ての心の曇り、心の闇は晴れゆきて、広き明き御恵みを授かる事が叶う」とあったところから命名しました。

最近、天照大御神と素戔嗚尊の誓約の結果に生まれた神々の話を書いていて、ものを食べて生むなんて、現実的にはあり得ない事だから、かなり後世の人の創作が入っている、あるいは何等かの寓意であるのは察するところでした。

海外でも神話なんて昔の人の作り話と言われていたところ、トロイの木馬が、我が国でも出雲大社の国譲りの代償として建てられた神殿の巨大な柱などが発掘されたり、神話は歴史的事実も元になっていると思うので、神代から誓約についても、本当のところ、どうだったのか不思議に思いました。

 

まず、この日本書紀が何を目的にして編纂されたのか?

当時の時代背景として、4世紀ごろから朝鮮半島に勢力を伸ばしていた我が国は、天智天皇2年(663年)に白村江の戦いで唐・新羅の連合軍に敗れ、半島の拠点を失ってしまいました。

これを一つのきっかけとして、天智天皇は、積極的に大陸の制度を導入して政治の刷新を進め、弟の天武天皇の時代にもその方針が引き継がれました。

その一方で、自国の歴史を振り返って誇りと自信とを回復し、さらには日本という国の在り方を対外的に発信する事にも力がそそがれた、その結晶が日本書紀の編纂という事業だったと。

従って、日本書紀に一貫する主題は皇統が天地開闢から一貫しているという尊貴性の表明ということになるでしょう。

 

また、最初は推古天皇(女性)の時代に聖徳太子と蘇我馬子が『天皇紀』『国記』を編纂したのに大化の改新で焼失し、それから長い歳月をかけてついに完成したのが今から約1300年前(西暦720年)元正天皇の御代でした。

元正天皇も女性でありましたから、天照大神は本来は男神でアマテルという名だったところを、女神として、女性ながら統治する自身を神話に投影したという説もある事を知りました。

 

ホツマツタエとかいう神代から12代景行天皇の御子ヤマトタケが熱田に葬られるまでの話は、私はまだ少ししか知りませんが、

国生みというのも無く、始めに国常立尊が日本を建国し、次の代はその御子8人で国土を8分割し、それぞれの国を治めたので国狭土と呼ばれたとか、八洲紀元も現実的に理解しやすい話だと思いました。

 

それに、今までの日本神話の舞台は西日本に偏っていましたが、現代では発掘・研究などが進み、縄文時代には人口分布が関東地方の方が圧倒的に多く、文明が発達していたのは関東地方の方ではないか?という説もあります。

また高天原から垂直に、天から地へと天下ったとされていましたが、

実は今でも電車の上り・下りと使われるように、

国の中心部で栄えている地域から未開発・発展途上の地域への水平移動だったのでは?という説があり、私もそう思っています。