今回は「鉄道模型を始めた頃の話」の本当の最終回として少し時代が新しくなるのも含みますがディーゼル機関車や客車を紹介します。
※あらかじめお断りしておきますが、車両関係は当時のものではなくって現代の同形式を使っている場合があります
初期の頃のディーゼル機関車といえば上の写真シリーズしかありません。
この中で一番発売が早かったのがTOMMYのDD13でした。前期型の一つ目ヘッドライト、例によって香港製でして塗装のにじみもあり購入には至りませんでした。
その後のKATOのDD13二つ目ヘッドライトは手すりが今までの製品にない細さとしなやかさで、現代の製品にも劣らないと今でも思っています。
ディーゼル機関車といえば「朱色に白線、上はグレー」の塗り分けでしょう。
編み目に墨入れするだけで随分引き締まりますよ。
入れ替え用でもローカル線なら客車を引いても貨物を引いてもOKで、DD51がなかなか発売されなかったので、しばらくの間、美里山倶楽部の主軸機関車でした。
DF50は1980年頃にTOMIXから、なんか唐突に発売されて購入した記憶があります。
非電化で蒸気機関車以外がブルートレインを牽引できる初めての機関車というイメージ。
写真はKATOでして何故かKATOにしてはやたらと手すりパーツをはめ込む仕様で手こずりました。
模型の記憶ではDD51より早く見たDE10。
2軸+3軸の機関車は珍しかったし、3軸のために小さい半径を回れないのではないかとも言われましたがそんなことはありませんでした。
今となれば左右非対称のこの形はほどよい味わいを感じます。
こうしてアップにしても3軸の迫力が良いじゃないですか!
さらにDD51を揚げたかったんですが、美里山倶楽部に入線したのは随分後になってからでしたのできっといつか取り上げるでしょう。
客車は、グリーンマックスのキット製品が発売されるように
なってからは、編成をそろえるのも容易になりました。
これが客車に対するハードルを下げたので「鉄道模型を始めた頃の話」というより、美里山倶楽部お好みの車両ということになります。
美里山倶楽部は郵便車が大好きです。
その中でも旧型客車のスユ42は明かり取りの窓がヘッダーの沿って空いていることがなんかいいんですね。
そしてもう1両の郵便車はオユ10。
北陸能登半島に保存車両があるとの情報がありましたので見に行ってみたいです。
美里山倶楽部も昔停車中に乗ったこともあり、思い入れが強い車両です。
この郵便車も上部の明かり取りが多いのが特徴で、夜行列車にはよく接続されていました。
ナハフ10。
昭和40~50年代にかけて北陸線の普通列車に10系客車がよく繋がれていてナハフ10はその最後に連結されてました。
ちょっと独特の妻面が特徴。
開放感がある窓が付いているので車掌も後方確認が楽だったことでしょう。
オシ17は北陸トンネルの火災事故ですべて廃車になりました。
長距離の夜行列車には欠かせなかった食堂車は、難燃化対策を施されたブルトレ系にしか残りませんでした。
一度で良いからこの大きな窓で日本海を眺めながら食事がしたかったですね。
12系客車は最初TOMMYが発売。
車体側面に穴が空いていてそこで床と車体を固定するという大胆な構造で、いかに客車がない時期でもどうしようかと思ってましたが、3両買ってしまいました。
オハフ+オハ+スハフの3両でしばらく走っていました。
JR仕様ではない12系が欲しかったんですけど手元にあるのはしっかりJRマーク入りでした。
もうひとつ編成モノではスハ44系。
これも華やかな頃の「つばめ」「はと」時代も良いのですが、もう少し後のスハ44系が良くって、特急「はつかり」のブルトレもどきの白線二本がなんか素敵。
その中でもスハニ35がイチオシです。
この車両は日中線に実際走っていたときに多分乗ったことあって思い入れがあり、スハニ35という客車というブログも書いてます。
最後はMOTOトレインです。
この車両はバイク好きな美里山倶楽部ですから買う一手でした。
レイアウトもこの車両に合わせたシーンを作りました。
MOTOトレインにバイクを積み込むシーンでファイナルです。
番外編も終わり
本腰入れて
モジュールレイアウトの
駅の設計を
行っていきます
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