(マッドマックス 怒りのデスロード)
の設定、シーンが、神話のソレ
なんじゃないか、ということについて
考えてみよう、というブログです。
ネタバレしてますので序文を
→コチラ
ウォーボーイズが
決死の特攻を仕掛けるときの
口に吹きかける銀のスプレー。
カンボジア内戦で若い兵士が
仏像を口にくわえて戦場に向かう
その姿から着想を得たそう…
とニュークスの項でも
書きましたが、これがですね、
「水銀」
ではないか、と。
水銀といえば、古代中国などでは
不老不死の薬として珍重されて
いました(水銀化合物だそうですが)。
英雄の館へと旅立つ死は
永遠の命との邂逅、であるならば
水銀は死に至る毒性と不老不死
というアンビバレントを有する
アイコンとして申し分ありません。
そしてこの水銀、英名を
「Mercury」といいます。これはそう、
「Mercurius(メルクリウス)」即ち
ジョーやマックスの項でも触れた
ヘルメス=メルクリウスであり
メルクリウス=オーディーンであることを
強力に後押しするワードと
なり得るのではないでしょうか。
なぜならば、水銀は錬金術と
切っては切れない物体であり、
その錬金術師の祖は
ヘルメス・トリスメギストス
(3重に偉大なヘルメス)
といいそうなんです。
且つ、水銀は錬金術の工程に在る
危険・錯覚・幻滅の縮図であり、
中心にあるメルクリウスを通して
対立物(マックスとジョー?)を
結合できるのだ、と心理学の父
ユングは集合的無意識そのものの
イメージとして捉えていた
ともいわれています。
集合的無意識とは個人を超えた
集団や民族、人類の心に普遍的に
存在すると考えられる先天的な元型。
即ち神話=MADMAXFURYROAD
であるといっても過言ではない
のではないでしょうか(及び腰)。
もうひとつ、
水銀はギリシャ語経由のラテン語で
hydrargyrum。もちろん個々を
切り離して語るのは馬鹿々々しいこと
なのかも知れませんが、
Hydra(ヒュドラ)はいくつもの頭が
一つの身体から生えた怪物。
それはいくつもの話や出来事が
一つに集約され、形のあるようで
形のないもの、神話であり、
物語であり、我々人間の
思考(そして至高)でも
あるのかも知れません。
同根にして対になるもの、
という考えでは、
マックスとジョーのマスク姿や、
マックスのチェーンと
ジョーの呼吸器パイプ、
そしてそれを自ら剥ぎ取ることと
剥ぎ取られること、そういう
共通項(にして反意項)が
みとめられるのでは
なんて思いました。
Twitterで僕のブログをもとに
考察して下さった方が、
ジョー=オーディーン
マックス=ロキ
であるならば、
神(アース神族)≠巨人(ヨトゥン)
でありながら義兄弟というのに
繋がりはするな、
というものがありました。
こうやって考察が広がっていくのも
嬉しいことですね。
ラスト、フュリオサの方を振り向く
マックス、というシーンがありますが
死した妻を地獄に迎えに行き、
地獄を出るまで振り返るなと言われ
最後に振り返ってしまった
オルフェウスを想起させます。
そういう間柄であったり、
出来事ではありませんが、
この二人が二度と会うことはない
ということを感じさせるシーン
だったのではないかと。
日本の神話でも
地獄に於いてイザナギが
イザナミを見たことによって
永遠の別れとなってしまいました。
前述の方の考察に、
岩を爆破して路を閉ざすのは
千引きの岩(地獄のイザナミが
毎日1000人殺したらあ!と
言ったのに対しじゃあ俺
1500の産屋を建てるわあ
と言いあった岩)感がある。
というものもありましたが、
日本神話で考えると
フュリオサは最初に生まれ
不具のため川に流された
ヒルコなのかも知れません。
別神話における
貴種流離譚というヤツですか。
帰還して王になるのも
頷けるかもです。ジョーの娘説
にも、つながるかなあなんて。
インドの聖典リグ・ヴェーダの
(ウォー・リグ?)最初の人間にして
最初の死者であり、後に地獄の王
となるヤマ(=閻魔大王)と
妹ヤミーの関係なんかとも
照らし合わせてしまいます。
別の方は、いやフュリオサは
マックスの子じゃないか、
と考察されてまして、
そっちはそっちで面白く、
名付けのときに真実に気づき
娘の危機に名乗る父、
ってのもアリっちゃアリやな、
と思いましたが、
年齢的に「?」なのと、
なんとなくそれやと
気持ち悪いな、というのが
個人的にはありました。
ま、マックスをトム・ハーディーではなく
メル・ギブソンがやってたら
どうかわかんないですけどもね。
どっちが当たり、とかは
ジョージ・ミラー監督こそ知れ、
でしょうけれど、皆の胸の裡に
てのが、こういう考察の
いいところですよね。
真実は闇の中、星の上、
であって欲しいです。
神話が、そうであるように。
どっちが当たり、とかは
ジョージ・ミラー監督こそ知れ、
でしょうけれど、皆の胸の裡に
てのが、こういう考察の
いいところですよね。
真実は闇の中、星の上、
であって欲しいです。
神話が、そうであるように。