昨夜、雨が上がった後、
朝まで真っ白な霧に包まれ、
とても幻想的でした。
温かな陽射しの一日でしたが、
今日は「立冬」なのですね

冬の始まりです

父が多発性骨髄腫を発症してから12年。。。
腰椎を圧迫骨折をして
介護生活になってから
もうすぐ1年になります。
激痛の闘病生活を経て、
一喜一憂しながらも、
なんとか落ち着いた生活を送る父

数ヶ月前、
父は私達に
「あと10年は生きて、
J太とN太の大学受験の勉強をみてやりたい」
そう言っていました。
私は、
「10年と言わず、
ひ孫の顔も是非見てやって
」と冗談で返していた。。。

数週間ほど前、
父は母にこう言った
「あと2年・・・」
父の病状が芳しくないだけに、
母はドキッとした

「あと2年経ったら・・・
ウクライナに行こうと思うんだ」
思わず、安堵と可笑しさで大笑いした母

父の行きたい国は、
マイナーな所ばかりだけれど、
ウクライナの首都は、
日本の京都に匹敵するくらい
素晴らしい所らしいので、
一度訪れたいと言っていた。
父のこの夢を聞いて、
私達は父の前向きな気持ちに
心から喜び、
実現したいと思った


先日、父が
「J太はどこの高校を受験するかなぁ?」って話し出した。
もと高校教諭の父は、
この辺りの高校の事情に詳しい。
登山が趣味だった父の影響で、
J太は山岳部がある高校に行きたいらしいと話したら、
父は嬉しそうにしながらも、
「山岳部は危険が伴うから心配だなぁ」と苦笑いしていた


昨日、父は私に
「先のことを考える意欲が湧かない・・・」
小さな声でそう言った。
食が細くなり、
ますます体が小さくなった父の言葉に胸が痛んだ

「J太の中間テストの勉強をみてくれる?」と頼んだら、
「そうだな! (自分は)教えるのが好きだからな!」と・・・
その頃、母は
父の薬を処方してもらいに病院へ。
父の主治医から
「あと半年もたない・・・
来年の桜が見られるか・・・」
と言われたそうだ。
病気の進行を抑える強い薬が、
父の身体にはもう耐えられなくなっていた。
先生も、もう打つ手が無くなった
・・・そういうことらしい。
ただ薬を受け取りに行ったつもりの母
思いがけない宣告に
相当ショックを受けたようだった。

ひ孫、
大学受験、
ウクライナ、
高校受験、
来年の桜。。。

楽しくおしゃべりしていた言葉が、
全てが虚しい言葉遊びのように感じられた。
発症した当初、
長くて3,4年と言われていたのに、
その3倍は生きてくれている。
先生は「奇跡」だとおっしゃった。
その「奇跡」があるのなら、
まだまだ信じたい!!
目の前の父は、
小さく切った羊羹を「美味しい」と食べ、
「便秘が治った」と喜び、
「スクワットは足腰に良い」と話していた。
嘘のように小さくなってしまった父だけれど、
数日前と変わらない父。
父の一つ一つのささやかな喜びは
私達の喜び

支える私達こそ、
まずは心を整えよう。。。



