日本橋高島屋へ、「沖ノ島 神宿る海の正倉院 撮影 藤原新也」を見に行った。
7月27日(木)
とりたてて、沖ノ島に興味があったのではなく、撮影が藤原新也だったので、どうしても見たいと思った。
若いころ、藤原新也の「印度放浪」「西蔵放浪」「東京漂流」などの本に非常に影響を受けた。
高じて、その後、自ら、インド、東南アジア、アフリカ、中南米を放浪することとなったしまった、、、
そのころ、そういう人、ずいぶん、いたと思う。
たいして、混雑もしていないだろうと、9時半ごろ、のんびりと出掛けた。
会場に着いたのは、10時半過ぎぐらい。
ところが、いって、びっくり、大混雑…。
え~、そんなに人気あるの???
まあ、藤原新也、というより、先ごろ、沖ノ島が世界遺産に登録されたということだろうけれど。
沖ノ島が登録された時、沖ノ島は、一般人の立ち入りは、ほとんど禁止されていると知って、驚いた。
日本にも、立ち入り制限のあるところがあるんだ、、、
ということは、まず、一般の人には、いることができないもの、だから、皆さん、見てみたいのでしょうか。
沖ノ島を撮るにあたって、藤原新也は、個性を殺して、記録することに、したということだった。
とはいっても、写真の脇に添えられた、文章には、彼らしさ、が存分に感じられた。
そもそも禁断の地、沖ノ島を撮るということ自体、彼らしいなと、思った。
写真もやっぱり、彼らしいというのもあって、、、
会場は、写真撮影禁止と思いきや、撮影OK。
でもな、私にとって、神様のような人の写真を、スマホのカメラで、撮るなんて、恐れ多く、僭越、のような気がして、、、
唯一の演出写真、これも、らしいね。
25分ほどの映像コーナーも、大盛況。常時、満席、立ち見も立錐の余地もないほど。
ちょっとした彼の文明批評、らしいというか、健在だね、ずいぶん、年月が経っても。
会場を出たところにある販売コーナーに、ああ、懐かしい、「西蔵放浪」などの本が並んでいた。
思わず手に取って、買って帰ろうか、と思った。
あれほど、崇拝?していたような本でしたが、過去のことに、こだわるのは、やめようと、ほとんどの本を手放してしまって、それらの本も、いまや、手元にない。
度重なる引っ越しの際に、処分してしまった。
過去にこだわるのは、やめようといっても、やはり、過去の上に現在があるというか、ずっと、引きずっているような、、、
12時過ぎ、会場を後にした。