こんなに愛されているのに、、、 | さびしいときの哲学

さびしいときの哲学

大切なひとを失った方、一人ぼっちで寂しいと思う方へのメッセージ

先週、風邪を引いてよくなりかけたと思って、かねてから気になっていた胃の検査をしに病院に行ったら、思いの外の高熱で、別室に移され、検査をしたら、コロナ陽性の判定が、、、

 

頭が真っ白になりました。どこでかかったんだろう、しかも、8度2分の熱だったなんて、そういえば、その前の晩は、無茶苦茶スポーツをした後のようなきつさがあったけど、あれって高熱のせいだったんだとか、自分の鈍さに思わず笑いにならない笑いが、、、

 

コロナで高熱と聞いて、帰宅してがっくりきたのか、そこから寝込む日々。咳をするたび体がきつい、息も苦しくなってきて、少し動いただけできつい。普段は当たり前のように思っていた肺の存在を滅茶苦茶感じました。

 

ようやく、今日、待機期間が終了し、なりはじめは、本当によくなるんだろうか、、、とか思ったけれども、大人しく寝ていたら、おかげさまで、だいぶんよくなりました。完治はしていませんが、その方向に向かっているのがわかります。

 

ただ、体力って、寝る生活が長ければ長いほど落ちるもので、こちらの回復の方が、意外に大変かもしれません。

 

この間、ご近所の方が、差し入れをもってきてくださったり、LINEで様子を尋ねてくださったり、灯りがついていることで、安心してくださったりと、本当に、涙がでるくらい、人の温かさが身に沁みました。

 

そして、寝込みながら、いろいろと今までのことを思い返して、自分はどんなに愛されてきたのか、その愛の有難さを改めて噛み締めました。

 

みんな、みんな、私以上に私を愛してくれた。そして、みんな私が笑顔でいてくれることをいつも望んでいた。

 

その愛し方はいろいろだけど、その愛を、いろんな形で感じることができたのは、本当に、本当によかった。

 

そして、もっと大きなものが自分を愛で包んでいるのを感じました。「よい、よい」って言ってくれているのを感じました。

 

いろいろあるかもしれないけど、まず、自分が自分を愛さなくてどうする!もっと大きなものがこんなに大きな愛で包み込んでいるのに。

 

だから、自分がこうして生きていることを愛おしく思おう。そこからがすべての始まり。

 

いつからだって始められる。いつだって。