そのままで | さびしいときの哲学

さびしいときの哲学

大切なひとを失った方、一人ぼっちで寂しいと思う方へのメッセージ

各地でこの冬一番の積雪の報がありますが、こちらでは、終始雨の日々。

 

部屋では、暖房が効いているけど、どこか鬱々とした空気のなか、このブログを書いています。

 

3月には、夫も亡くなって13年目。いろいろと思うこともありますが、ここ最近思うのは、私は、自分のことを知っているようで知っていなかったということです。

 

知っていたのに、知ろうとしなかったと言った方がよいのかもしれません。そして、とても大切なことに気づきました。

 

結婚するときに、夫が私に言った言葉。

「そのままのれいこさんで来てください。」

 

私は、どれだけその言葉に救われただろうか。そして、その言葉のおかげで、私は、どれだけのびのびとできたか。そして何よりも、自分自身を思いっきり出すことができたか。

 

わがままになったこともあったかもしれない。それでも、夫は、受け容れてくれた。

 

それなのに、私は、、、

 

「こういうところがよくない」とか「ここを直して」とか「あそこを直して」とか、そういうことを口に出して言っていた。

 

私自身が、夫をそのまま受け容れていなかった。

 

私の自責の念の基は、そこにあったのだと、ようやく気づきました。

 

あれから、全てのことに自信をなくし、自分の在り方そのものを考え直そうとし、否定し、それでもなんとかやってきて、最後に気づいたのは、

 

夫自身が受け容れてくれた私を、私自身が否定してはいけないということでした。

 

そのままでいい

 

私が夫を受け容れていなかったとき、私自身はのびのびして解放されていたと思っていたけれども、実は自分をそのまま受け容れていなかったのだと気づきました。そうでなかった以前の自分を否定の上に成り立っていた自分だったことを。

 

そんな私すら、私自身よりも、私を受け容れてくれていた夫。どんな私も。私自身が否定したくなるような嫌な自分すらも。親さえただそうとした自分さえ。

 

13年目を迎える今、私は、自分をもっと愛そうと思っています。どんな自分も自分だから。