カントは、無条件で命じる道徳法則を定言命法とし、条件付きで命じる仮言命法と区別をしました。
その定言命法の一つとして、
人間を、汝自身においても他人においても、単なる手段としてではなく、常に同時に目的として扱え
というのがあります。
道徳、というと、わたしたちは、ともすれば、他者に対してのものと思いがちですが、自分自身も目的として扱うということが、そこでは言われているのです。
自分を目的として扱う、ってどういうことなんだろう。こうして、改めて考えてみると、意外に、自分が自分自身を手段として扱っているような気がしてきます。
もちろん、他者を手段として扱うということは、あってはならないことですが、自分を粗末に扱っていないか、他者のために自分を手段として扱っていないか、考えてみる必要があるのではと、思い直しています。
最初、この言葉に出会ったとき、汝自身においても という言葉がスッポリと抜けていた自分がいました。
それくらい、わたしもまた、自分を手段として扱っていて、気づくことすらなかった。
道徳というものが問われる局面があるとするのならば、自分を大事にしてこそ、それは成立するものだと、つくづく思います。