さびしいときの哲学

さびしいときの哲学

大切なひとを失った方、一人ぼっちで寂しいと思う方へのメッセージ

カントは、無条件で命じる道徳法則を定言命法とし、条件付きで命じる仮言命法と区別をしました。

 

その定言命法の一つとして、

人間を、汝自身においても他人においても、単なる手段としてではなく、常に同時に目的として扱え

というのがあります。

 

道徳、というと、わたしたちは、ともすれば、他者に対してのものと思いがちですが、自分自身も目的として扱うということが、そこでは言われているのです。

 

自分を目的として扱う、ってどういうことなんだろう。こうして、改めて考えてみると、意外に、自分が自分自身を手段として扱っているような気がしてきます。

 

もちろん、他者を手段として扱うということは、あってはならないことですが、自分を粗末に扱っていないか、他者のために自分を手段として扱っていないか、考えてみる必要があるのではと、思い直しています。

 

最初、この言葉に出会ったとき、汝自身においても という言葉がスッポリと抜けていた自分がいました。

 

それくらい、わたしもまた、自分を手段として扱っていて、気づくことすらなかった。

 

道徳というものが問われる局面があるとするのならば、自分を大事にしてこそ、それは成立するものだと、つくづく思います。