暑くなるにつれ、ごはんを作りたくない日というものが出てきます。

でも外食は野菜不足がつきまとい添加物も多くなり、続くと体にも味覚にもあまり喜ばしくなく。

そんな我が家でせめて冷蔵庫にあるもので1品足しに、とよく作るのがアーリオオーリオ。
ペペロンチーノのパスタがないもので、にんにくと唐辛子のオイル炒めです。
パスタと合わせれば主食になります。

あらびきにんにく(チューブが楽)と唐辛子があれば大体のものが美味しくなりますので、面倒なときはぜひ。

Point★唐辛子は辛みを加えるためではなく、炒めて香ばしい香りを出す役目です。
後入れではなく、初めから一緒に炒めて焦げる寸前くらいが香りと旨みが出る美味しさの秘訣です。

あと、にんにくはぜひあらびきで。


太アスパラときのこのアーリオオーリオ

スナップえんどうとキャベツのアーリオオーリオ

ささみとスナップえんどうときのこのアーリオオーリオ

なんだこれ?
ピーマンと何か


キャベツとスナップえんどうとしらすのアーリオオーリオ

なぜかスナップえんどう率高い。
しかもほぼ同じ皿でなんか恥ずかしい。

強火でサッとがポイントです。


手作りスパイスカレー生活も再開しています。
豚ときのこといもカリー

ソテーした野菜とチキンでルー見えないカリー

カレーは元気が出ます。
(市販のルーやチェーン店のカレーは油と糖とグルテンの三拍子で胃腸に負担をかけるのと疲労回復にも向かないのでご注意をば)


さて、本日の言の葉タイム。

現国例
『どうぶつ』
生物を二大別したとき、植物に対する一群。(中略)人間以外の哺乳類をいう場合もある。
へ〜なるほど。
植物じゃない方、か。
そんなふうに考えたことはなかったので面白い。


新明解
『どうぶつ』
自由に運動し酸素を吸って生きる生物。他の動植物を栄養としてとる。[広義では人間を含む、狭義では除く]
注目すべきは、新明解では人間もどうぶつに含めている点。
ここ、深い哲学の話になりますね。
きっと新明解さん的には人間も含めたいのではないかな。
しかし哲学的な解釈を辞書が言い切るのは難しい面もあるので、広義と狭義という線引きを巧妙に用いたように私は感じました。


現国例
『料理』
食物として口に合うように材料を調え加工すること。


新明解
『料理』
材料に手を加えて(おいしく)食べられる状態にすること。
おいしくを()にした意図は、もしかしたら前述のどうぶつと同じで狭義と広義を意識してのことかもしれませんが、料理とはおいしいことに価値があると触れてくれています。
だから、どうしたらおいしくなるのか考えながら食材に向き合う行為は、とても人間らしく、尊いものだと私は常々思うのです。

料理をするのは人間だけです。
ということは、栄養のことだけ、お腹を膨らませるだけ、はもしかしたら人間的ではないのかもしれない。

食材に向き合うことは、生産者さんや地球のこと、経済のことを少し考えたりもします。
生き物の命、土壌、作る人、運ぶ人、売る人、いろいろと思いを巡らせます。
これを食べたら自分の体にどう影響するのか、とも。

やはり料理をしていると、生活がシャキっとします。
外食が続くとだらしなくなるし、体も疲れやすい。

この間テレビで、料理は子供の脳の教育や、認知症予防にも効果的と観ました。
メニューを決めるところから買い物などの準備、段取りを立てて手順よく行う一連の動作がよいようです。
(認知症になると料理ができなくなるケースがありますね)

料理は人間らしい生活の基本、と教えてくれた母は、仕事をしながらお弁当も掃除も品数豊富な夕飯作りも全てこなしていたスーパーおかあちゃんでした。

父が食にうるさかったのでおかずは多種に渡り、それも人数分がまとめてひとつのお皿で出てきたこともなかったです。

そんなスーパーおかあちゃんは、今や私に任せっきりで一切飯を作らなくなったババアです。

意地でも作らないからたまに腹立ちます。

だってもともと料理が好きじゃないんですって。

好きじゃないのにあんなにちゃんと作ってたんか、と思うと、まあもう引退でもいいかという気持ちにもなりますが。

でも認知症の話を観てから、お昼だけは作ることにしたようで。

よしっ!
(私、だいぶ楽)

やっぱり私が一番好きな母の姿は、台所に立っている姿かな。

母の肉じゃがとかぼちゃ煮と味噌汁は世界一です。
(茶色くて昭和なものばかり)

そんな我が家の食の話でした。