京都・東寺 参詣紀

京都市南区にある 東寺 を参詣し名所の桜 などを観てきました。

 

最寄り駅 近鉄電車京都線 東寺駅 前から国道1号線を西へ450m行くと東寺の南大門に辿り着く。

 

真言宗 八幡山 真言宗総本山 東寺(とうじ) 世界遺産

京都市南区九条 1 に所在。

本尊 薬師如来(重文)

宗教法人としての名称は 「教王護国寺」と登録され、「教王」とは 王 を教化する との意味で、国家鎮護の密教寺院 との意味合いが込められている。

延暦13年(794) 第50代 桓武天皇(かんむてんのう 在位 781~806)の時、長岡京から平安京に遷都された 2年後に 桓武天皇 の開基により創建されたと、東寺の記録書に伝わる。

平安京の正門「羅城門」の東西に、この 東寺 西寺(さいじ) の二院が それぞれ都の半分 東の左京を護る 東寺 西の右京を護る 西寺 が王城鎮護の 官立寺院として建立された。 順調に造営が進んだ西寺に対し、東寺は金堂一つ建ったまま なかなか造営が進まなかったが、弘仁14年(823)に 第52代 嵯峨天皇(在位 809~823)が 東寺を 弘法大師(空海) に下賜され 造営と経営を任されて完成した。

東寺に於いては文明18年(1486) 土一揆 により多くの堂塔が焼失したが 豊臣秀吉から2,030石が知行されたり、豊臣秀頼 の寄進などで再建。 何度も火災に遭い創建当時の建物は残っていないが、南大門・金堂・講堂・食堂 などの南から北へ一直線に並ぶ伽藍配置や規模は平安時代の礎石の上に建造され、様式が保たれている。

 

西寺 は天福元年(1233)火災により荒廃し、平安末期に武士の台頭により朝廷の力が弱まり、支援を受けられなくなり衰退していった。

 

 

 

主要建造物

〔南大門〕 (重文) 元は慶長6年(1601) 三十三間堂の西大門として豊臣秀頼により建造された八脚門が、明治28年(1895)に移築されたもの。

〔金堂〕 (国宝) 東寺の中心堂宇で最も早く建造されたが文明18年(1486)土一揆で焼失。現存の金堂は慶長8年(1603)豊臣秀頼の寄進で再建されたもの。入母屋本瓦葺き、単層だが裳階(もこし)付きなので二層に見える。内部の広大な空間に 本尊 薬師如来座像 と 日光菩薩・月光菩薩の両脇侍像が安置されている。

 

 

 

〔講堂〕 (重文) 金堂の北に建つ。 承和6年(839)建立されたが土一揆で焼失、延徳3年(1491)再建、単層入母屋造。内部に大日如来を中心に 密教尊仏 を安置し、立体曼荼羅を構成している。

〔食堂 じきどう〕 講堂の北に建つ。弘法大師没後に建てられたが火災や地震で何度も再建を繰り返したが、現存の物は昭和8年(1933)完成したもの。観音堂とも呼ばれ、内部に 十一面観音像を本尊として安置し、火災に罹災し修復された千手観音像や四天王像なども安置されている。

 

 

 

〔御影堂〕(大師堂) (国宝) 空海が住房としていた境内西北の一角に建つ 前堂・後堂・中門などの複合仏堂、檜皮葺。弘法大師座像(国宝)、空海の念持仏 不動明王座像(国宝)などを安置。

〔毘沙門堂〕 文政5年(1822)国宝の 兜跋毘沙門天像 を祀るため建立されたが国宝の 兜跋毘沙門天像 は宝物館に収蔵され、今は京都の都七福神(毘沙門天)を祀る。

〔大日堂〕 元は御影堂の礼拝所であったが、後に大日如来像を安置し 大日堂 となった。

 

 

 

〔宝物館〕 北大門を出た左側に建つ鉄筋コンクリート造 3階建ての建物、昭和38年(1963)完成。春・秋観光シーズンだけの特別展で寺宝を展示公開している。

〔宝蔵〕 (重文) 食堂の東に掘割で囲まれた中に建つ。平安時代後期の校倉造の倉庫。東寺最古の建造物。

 

 

 

〔本坊〕 庫裏・寺務所・小子房 からなり、庭園「澄心苑」が七代目 小川治兵衛 により作庭されている。

〔蓮華門〕 (国宝) 鎌倉時代の再建の八脚門で 本坊西側の門。空海が高野山に向かう時に使った門で、最後の旅立ちの時 空海の足元や足跡に蓮の花が咲いたとの伝説から名づけられた。

 

 

 

 

 

〔五重塔〕 (国宝) 江戸時代の寛永21年(1644)建立、木造・本瓦葺き。国内に現存する木造建築物で最も高く55m。 京都のシンボル・ランドマークになっており、初層内部 中央心柱を大日如来に見立て、東に阿閦如来、南に宝生如来、西に阿弥陀如来 、北に不空成就如来 を安置し、周りに諸仏を巡らして立体曼荼羅を構成している。

〔瓢箪池〕 境内南東部の広い敷地の中に 瓢箪形の池が設置されているが造営年代不明。 すぐ南に建つ五重塔を水面に映す。

〔東大門〕 (重文) 建久9年(1198)再建。 建武3年(1336)6月 新田義貞 に攻められた 足利尊氏 がこの門を閉めて難を逃れたという故事に より 不開門(あかずのもん)

と呼ばれてる。

 

 

 

また境内は桜の名所でもある。

〔不二桜 ふじざくら 紅枝垂れ桜〕 この桜は殊に有名で、岩手県盛岡市の旧家にあったが 三重県鈴鹿市に移され、さらに平成18年(2006)に 弘法大師帰朝1,200年を記念して現在地に移植された。弘法大師の「不二の教え(密教の教え)」に因んで 「不二桜」 と命名された。 樹齢130年を超え、高さ13m・枝張10mのエビヒガン系の紅枝垂れ桜。

 

 

 

以下 東寺境内に咲く桜 抜粋。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(2)

羅城門跡(らじょうもんあと)

京都市南区唐橋羅城門町54 に所在。

東寺 の南大門前から西へ500m行った先にある。

元は 延暦13年(794)に建設された 平安京 の正門。 南北5.3km、東西4.5km の平安京の中央部南端に建ち、北端の朱雀門と相対していた。 正面33m、奥行き8m、二重閣 瓦屋根葺造で両端に金色鴟尾を置く門がそびえていたと言われる。 今は町の児童公園内に石碑が立っているばかり。

 

 

 

 

 

(3)

西寺阯(さいじあと)

京都市南区唐橋西寺町 に所在。

羅城門跡から西へ670mの先にあり、唐橋小学校 北の 唐橋西寺公園 が大正10年(1921) 国の史跡 に指定され、「史跡 西寺阯」 の石碑が立っている。

平安京羅城門の西側にあり羅城門を挟んで 東寺 と対をなした 官寺 であった。  西寺の衰退原因は 東寺 の項で記述した朝廷の支援が得られなくなった事のほかに、立地の場所は水はけが悪く住民が居なくなり環境が悪化した事も影響したと言われている。

 

 

< 完 >

 

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