京都市西京区大原野に所在の 善峯寺 を参詣し、有名な アジサイなどを観て来ました。

善峯寺 白山桜あじさい苑

善峯観音宗本山 西山 善峯寺(よしみねでら)
京都市西京区大原野小塩町 1372 に所在。 境内は京都市域の西南端近く、釈迦岳(標高630.8メートル)の北東の支峰の善峯に位置し、山腹一帯に多くの堂宇が点在する。
本尊 十一面千手観音菩薩 2躯
創建 長元2年(1029)
開山 源算上人(比叡山横川で修行の後47歳の時当寺に入山、小堂を建てて自ら彫った 千手観音像を奉安したのが この寺の始まり。
長久3年(1042)に 後朱雀天皇 の命で洛東鷲尾寺にあった仁弘法師作の千手観音像を当寺に遷して新たな本尊としている。また 白河天皇 より本堂、阿弥陀堂、薬師堂、地蔵堂、三重塔、鐘楼、二王門、鎮守七社の堂社を寄進された。
応仁の乱に巻き込まれて伽藍の大半が焼失したが、江戸時代になってから江戸幕府 第5代将軍 徳川綱吉 の生母 桂昌院 の寄進によって、現存する観音堂・鐘楼・護摩堂・薬師堂・経堂・鎮守社などが再建されて復興を遂げた。
桂昌院 は京都に住む 本庄氏が当山 薬師如来に一女子を得ることを祈願し、寛永4年(1627)に女子を授かった。その子が後に大奥に上がり 徳川3代将軍 家光 の側室 お万の方に仕え、やがて春日局の目にとまって 家光の側室となり 徳川五代将軍 綱吉 の生母と出世するが、父の薬師信仰を忘れず当山を支援した。

境内 主要建造物
諸堂宇の大部分は江戸時代、桂昌院 の援助で整備されたもの。
参道 善峯寺 を目指して登り路を行くと寺域を示す石柱や石灯籠などが立ち、更に進むと境内の山門への入口に差し掛かる。

山門への急坂を上がる参道の途中、はるか先の京都市街の眺望が開けて見えた。

山門(仁王門) 大型参詣バス停留所から急坂山道を、また一般駐車場から数分上ったところに山門が聳える。 正徳6年(1716)建立。三間一戸の楼門。楼上の文殊菩薩と脇侍二天は寺宝館に安置。

本堂(観音堂) 楼門の先 石段を上がった正面に本堂(標高305メートル辺り)があり元禄5年(1692) 桂昌院 による建立。納経所でもある。

手水者 本堂の左手前に建つ。
閼伽井 本堂右奥に所在。 仏前にお供えする水を汲む清浄な井戸 。このお香水を服すと長寿のご利益があると云われる。

寺宝館文殊堂 本堂の左下に建つ。 平成11年(1999)建立。 約300点の仏像、絵画、書跡、染織、陶器など重要文化財の収蔵庫。

鐘楼堂(釣鐘堂) 貞享3年(1686) 桂昌院による建立。梵鐘は 徳川綱吉 の厄年にに寄進さたことから厄除けの鐘といわれる。
護摩堂 元禄5年(1692年)桂昌院による建立。 五大明王を祀る
。
多宝塔(重要文化財) 江戸時代 元和7年(1621)に 賢弘 により再建。山内最古の建物。愛染明王像を安置。
経堂 宝永2年(1705) 桂昌院による建立。 6世紀中国の僧 傳第士(ふだいし)を奉安。鉄眼版一切経を収納、祈願成就の絵馬奉納所でもある。


遊龍の松(国指定天然記念物) 樹齢600年以上の 五葉松で、以前は全長50mに及んでいたが 松くい虫による被害に遭い、今は37メートル。 枝が地を這うように伸びて龍が横たわって遊んでいるような姿から 安政4年(1857)前右大臣 花山院家厚 により「遊龍」と命名。 標石は、明治26年(1893) 陸軍中将 鳥尾小弥太 筆。
(松の枝があまりにも長く パノラマ写真が撮れなかったので、イメージ表現のため繋ぎ合わせてみました。悪しからず!)

桂昌院しだれ桜 経堂の奥に立つ。 桂昌院お手植えの樹齢300年以上のしだれ桜。

開山堂 貞享2年(1685)建立、源算上人 廟所。上人117歳の尊像を祀る。
白山 桜あじさい苑 入口 善峯寺に多大の支援をした 桂昌院 の命日 6月22日頃に捧げる花として 紫陽花が植えられ広まって行き、 3,000坪のあじさい苑となり、8,000株が植えられて、 善峯寺の初夏を彩る花は何と言っても紫陽花となった。 開花は6月上旬で あじさいの花は長く咲き続けるので、見ごろは6月いっぱい続き、7月上旬まで楽しむことができる。
幸福地蔵堂 白山桜あじさい苑 の入口に懸造りの小堂が建ち 幸福地蔵 を祀る。
堂内に入り賽銭を入れて拝礼し、地蔵さんの横から下に広がる あじさい苑 の見晴らしは秀逸。

善峯寺 白山桜あじさい苑



ガクアジサイの構造
紫陽花は日本固有種で 小さな花であったが、ドイツ人で長崎 出島のオランダ商館の医師として勤めた植物学者でもある シーボルト がいろいろな植物とともに母国へ持ち帰り、西洋好みの大輪に改良されたものが 大正時代に日本へ逆輸入されて広まって行った。
シーボルトが紫陽花の原種 シチダンカ を世界に紹介したが 一時国内で見つからず、幻の紫陽花と云われていたが、兵庫県 六甲山で見つかった。
紫陽花は 酸性の土壌で育てると 青い花が咲き、 アルカリ性の土壌で育てると 赤い花が咲くと言われる。

善峯寺 白山桜あじさい苑






十三重石塔 白山桜あじさい苑の小高い奥に立つ。

宝篋印塔 鎌倉時代 慈鎮和尚 により 伝教大師筆の法華経が納められた宝塔。
桂昌院廟 宝永2年1705)建立。 桂昌院の遺髪を納めている。

釈迦堂 明治18年(1885) 建立。 本尊 釈迦如来 は 開山の 源算上人 自作と伝わる。 腰痛、神経痛にご利益があると云わている。
薬師堂 元禄14年(1701) 桂昌院による建立の奥の院。昭和63年(1988)に現在地に移転。 桂昌院 出生の由緒により 出世薬師如来 と云われる。
阿弥陀堂 寛文13年(1673)建立。 元禄6年(1693) 桂昌院 によって改修。 宝冠阿弥陀如来 を安置。 阿弥陀仏を讃えて極楽往生を願う勤行の 常光三昧 道場であることから 常行堂 ともいう。
最後までご視聴有難うございました。
< 完 >
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善峯寺 白山桜あじさい苑

善峯観音宗本山 西山 善峯寺(よしみねでら)
京都市西京区大原野小塩町 1372 に所在。 境内は京都市域の西南端近く、釈迦岳(標高630.8メートル)の北東の支峰の善峯に位置し、山腹一帯に多くの堂宇が点在する。
本尊 十一面千手観音菩薩 2躯
創建 長元2年(1029)
開山 源算上人(比叡山横川で修行の後47歳の時当寺に入山、小堂を建てて自ら彫った 千手観音像を奉安したのが この寺の始まり。
長久3年(1042)に 後朱雀天皇 の命で洛東鷲尾寺にあった仁弘法師作の千手観音像を当寺に遷して新たな本尊としている。また 白河天皇 より本堂、阿弥陀堂、薬師堂、地蔵堂、三重塔、鐘楼、二王門、鎮守七社の堂社を寄進された。
応仁の乱に巻き込まれて伽藍の大半が焼失したが、江戸時代になってから江戸幕府 第5代将軍 徳川綱吉 の生母 桂昌院 の寄進によって、現存する観音堂・鐘楼・護摩堂・薬師堂・経堂・鎮守社などが再建されて復興を遂げた。
桂昌院 は京都に住む 本庄氏が当山 薬師如来に一女子を得ることを祈願し、寛永4年(1627)に女子を授かった。その子が後に大奥に上がり 徳川3代将軍 家光 の側室 お万の方に仕え、やがて春日局の目にとまって 家光の側室となり 徳川五代将軍 綱吉 の生母と出世するが、父の薬師信仰を忘れず当山を支援した。

境内 主要建造物
諸堂宇の大部分は江戸時代、桂昌院 の援助で整備されたもの。
参道 善峯寺 を目指して登り路を行くと寺域を示す石柱や石灯籠などが立ち、更に進むと境内の山門への入口に差し掛かる。

山門への急坂を上がる参道の途中、はるか先の京都市街の眺望が開けて見えた。

山門(仁王門) 大型参詣バス停留所から急坂山道を、また一般駐車場から数分上ったところに山門が聳える。 正徳6年(1716)建立。三間一戸の楼門。楼上の文殊菩薩と脇侍二天は寺宝館に安置。

本堂(観音堂) 楼門の先 石段を上がった正面に本堂(標高305メートル辺り)があり元禄5年(1692) 桂昌院 による建立。納経所でもある。

手水者 本堂の左手前に建つ。
閼伽井 本堂右奥に所在。 仏前にお供えする水を汲む清浄な井戸 。このお香水を服すと長寿のご利益があると云われる。

寺宝館文殊堂 本堂の左下に建つ。 平成11年(1999)建立。 約300点の仏像、絵画、書跡、染織、陶器など重要文化財の収蔵庫。

鐘楼堂(釣鐘堂) 貞享3年(1686) 桂昌院による建立。梵鐘は 徳川綱吉 の厄年にに寄進さたことから厄除けの鐘といわれる。
護摩堂 元禄5年(1692年)桂昌院による建立。 五大明王を祀る
。多宝塔(重要文化財) 江戸時代 元和7年(1621)に 賢弘 により再建。山内最古の建物。愛染明王像を安置。
経堂 宝永2年(1705) 桂昌院による建立。 6世紀中国の僧 傳第士(ふだいし)を奉安。鉄眼版一切経を収納、祈願成就の絵馬奉納所でもある。


遊龍の松(国指定天然記念物) 樹齢600年以上の 五葉松で、以前は全長50mに及んでいたが 松くい虫による被害に遭い、今は37メートル。 枝が地を這うように伸びて龍が横たわって遊んでいるような姿から 安政4年(1857)前右大臣 花山院家厚 により「遊龍」と命名。 標石は、明治26年(1893) 陸軍中将 鳥尾小弥太 筆。
(松の枝があまりにも長く パノラマ写真が撮れなかったので、イメージ表現のため繋ぎ合わせてみました。悪しからず!)

桂昌院しだれ桜 経堂の奥に立つ。 桂昌院お手植えの樹齢300年以上のしだれ桜。

開山堂 貞享2年(1685)建立、源算上人 廟所。上人117歳の尊像を祀る。
白山 桜あじさい苑 入口 善峯寺に多大の支援をした 桂昌院 の命日 6月22日頃に捧げる花として 紫陽花が植えられ広まって行き、 3,000坪のあじさい苑となり、8,000株が植えられて、 善峯寺の初夏を彩る花は何と言っても紫陽花となった。 開花は6月上旬で あじさいの花は長く咲き続けるので、見ごろは6月いっぱい続き、7月上旬まで楽しむことができる。
幸福地蔵堂 白山桜あじさい苑 の入口に懸造りの小堂が建ち 幸福地蔵 を祀る。
堂内に入り賽銭を入れて拝礼し、地蔵さんの横から下に広がる あじさい苑 の見晴らしは秀逸。

善峯寺 白山桜あじさい苑



ガクアジサイの構造
紫陽花は日本固有種で 小さな花であったが、ドイツ人で長崎 出島のオランダ商館の医師として勤めた植物学者でもある シーボルト がいろいろな植物とともに母国へ持ち帰り、西洋好みの大輪に改良されたものが 大正時代に日本へ逆輸入されて広まって行った。
シーボルトが紫陽花の原種 シチダンカ を世界に紹介したが 一時国内で見つからず、幻の紫陽花と云われていたが、兵庫県 六甲山で見つかった。
紫陽花は 酸性の土壌で育てると 青い花が咲き、 アルカリ性の土壌で育てると 赤い花が咲くと言われる。

善峯寺 白山桜あじさい苑






十三重石塔 白山桜あじさい苑の小高い奥に立つ。

宝篋印塔 鎌倉時代 慈鎮和尚 により 伝教大師筆の法華経が納められた宝塔。
桂昌院廟 宝永2年1705)建立。 桂昌院の遺髪を納めている。

釈迦堂 明治18年(1885) 建立。 本尊 釈迦如来 は 開山の 源算上人 自作と伝わる。 腰痛、神経痛にご利益があると云わている。
薬師堂 元禄14年(1701) 桂昌院による建立の奥の院。昭和63年(1988)に現在地に移転。 桂昌院 出生の由緒により 出世薬師如来 と云われる。
阿弥陀堂 寛文13年(1673)建立。 元禄6年(1693) 桂昌院 によって改修。 宝冠阿弥陀如来 を安置。 阿弥陀仏を讃えて極楽往生を願う勤行の 常光三昧 道場であることから 常行堂 ともいう。
最後までご視聴有難うございました。
< 完 >
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