北野天満宮 参拝記
学問の神様とも言われる 菅原道真公 を祀り、梅花の名所でもある 京都市上京区の 北野天満宮 を参拝し、梅の花を観て来ました。
嵐電(京福電鉄)北野線終点 北野白梅町駅から出発、今出川通りを東方の天満宮へ向かう。
北野天満宮(きたのてんまんぐう)
京都市上京区今出川上がる馬喰町 に鎮座。
主祭神 : 菅原道真公(845~903)
昌泰4年(901)右大臣 菅原道真 が 左大臣 藤原時平 の讒言によって大宰府権帥に降格され 大宰府に左遷されるという 昌泰の変 が起きた。 道真は大宰府で死を遂げる。
その後、藤原時平が亡くなったり、平安京内裏の清涼殿への落雷で 大納言 藤原清貫 や重臣の 平希世 が死亡したり、また 醍醐天皇崩御 などが続き、 道真の怨霊による祟りであり 道真は火雷天神になった と 朝廷に於いても恐れられた。
天暦元年(947)に北野にあった朝日寺の 最鎮 らが朝廷の命により 道真を祀る社殿を造営した。 菅原氏の出身であった 曼殊院門跡の 是算国師 が初代別当に任じられ、以降曼殊院門跡が北野別当職を歴任することになった。 永延元年(987)初めて 勅祭 が催行され、第66代 一条天皇(在位 986~1011) から 「北野天満宮天神」 の勅号が贈られた。
北野天満宮 主要建造物
〔一の鳥居〕 今出川通りに面して建ち、天満宮の南からの入口。 高さ 11.4m、花崗岩の一本柱、大正10年(1921 )建立。 扁額は 高さ2.7m・幅 2.4m・重量563kg 平成26年(2014)修復。
〔境内参道〕 奥の 本殿 まで石敷きの道が続く。
〔臥牛像〕 道真公 の出生年は 丑年 で、亡くなった時が 丑の月、丑の日 で、道真公は 丑 に乗って大宰府へ下った などの伝承から、牛は天満宮の 神使 とされて 北野天満宮には 臥牛 の像が多数設置されている。
〔楼門〕 上部に掲げられた扁額に 「文道大祖 風月本主」 と刻まれているが 平安時代中期の学者 慶滋保胤、大江匡衡 が 菅原道真 を讃えた言葉。
〔手水舎〕 楼門を潜った右に建ち、花手水 が配われている。
〔三光門 =中門〕 (重文) 拝殿・本殿 前の中門。 日・月・星 の彫刻があることから 三光門 と呼ばれるが、実際には 星 の彫刻は無いと言われ 「星欠けの三光門」 として天神の七不思議に数えられている。勅額 「天満宮〕 は 後西天皇 の宸筆。
〔拝殿・本殿〕 (国宝) 祭神 菅原道真公 を祀る本殿と拝殿。 石の間、楽の間(国宝)を連結した日本最古の 八棟造(権現造)。 本殿を 透塀(重文)で囲われている。
〔東門〕 (重文) 慶長12年(1607) 豊臣秀頼 により再建、 切妻造、銅葺きの四脚門。
〔宝物殿〕 北野天神縁起絵巻(国宝)や皇室・公家・武家などから奉納された宝物 数万点を収蔵。毎月25日に公開される。
〔絵馬所〕 元禄12年(1699)建立。 規模・歴史は現存する絵馬所の中で随一と言われる。(京都市指定有形文化財)
〔梅苑 花の庭〕 北野天満宮の梅苑には2万坪の敷地に 50種 1500本の梅が植えられている。 道真公の命日 2月25日 に 「梅花祭」 が開催される。
菅原道真公 は梅をこよなく愛し、大宰府へ左遷の時庭の梅に 「 こち(東風)吹かば にほいおこせよ 梅の花 ぬしなしとして 春を忘るな 」 との和歌を詠んだ。
また 「梅が道真を慕って 一夜のうちに大宰府に飛来した」 という 飛梅伝説 などから 梅 が天満宮の 「神紋」 になった。
< 完 >
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