京都で屈指の紅葉の名所 東福寺 とその塔頭寺院 勝林寺 を参詣してきました。

 

PCの一台に不具合が起き補修の際に撮影収録したSDカードを紛失していましたが見つかりましたので、遅ればせながら編修して投稿しました。季節遅れで申し訳ありませんが ご笑覧下さい。(2023年12月1日 参詣 撮影)

(1)

臨済宗 東福寺派 総本山  慧日山 東福寺(えにちさん とうふくじ)。

京都市東山区本町15丁目778 に所在。

本尊 : 釈迦如来

摂政 九條道家 が奈良最大の東大寺に比べ、また盛大を極めた興福寺になぞらえようとの念願で「東」「福」の字をとり京都最大の大伽藍を造営したのが 「東福寺」 。 嘉禎2年(1236)から建長7年(1255)まで19年掛かって完成した。 仏殿本尊の釈迦仏像は15m、左右の 観音・弥勒 菩薩像は7.5mで新大佛と喧伝され、足利義持・豊臣秀吉・徳川家康らによって保護 修理も加えられ、京都最大の禅苑として面目を伝えた。 東福寺は宗派の雲水たちの修行道場であるが、紅葉の名所として観光スポットでもある。

境内に 三門、禅堂、本堂、方丈、庫裏、常楽庵 など主要伽藍を中心とする境内や 周辺に25もの塔頭寺院も連なる一大寺院群を成す。

 

主要伽藍の北には京都でも著名な紅葉の 洗玉澗(せんぎょくかん) という渓谷があり西から東へ 臥雲橋、通天橋、偃月橋 の 東福寺三名橋が架かることでも知られる。

 

〔北門〕 JR奈良線と併設の京阪電車本線 東福寺駅 から200m南へ向かうと東福寺の北門が現れる。

〔仁王門〕(重文)もとは塔頭三聖寺の建物で、慶長2年(1597)の建立。今は 仁王像は立っていない。

〔月下門 (月華門)〕(重文)板蟇股など細部にわたり鎌倉時代の特徴を残す 切妻造、檜皮葺の四脚門。文永5年(1268) 一条実経 が常楽庵を建立した際に 亀山天皇 から京都御所の 「月華門」 を下賜されたと伝わる。

〔日下門〕 ここからも東福寺境内伽藍域に入場できる。

 

参道途中の紅葉

 

 

〔臥雲橋〕東福寺三名橋の一つ。橋上から東を見ると紅葉の名所 洗玉澗 が広がりその奥に名橋 通天橋 を望む。

〔勅使門〕 普段は閉じられている。

〔六波羅門〕(重文)伽藍区域の最南端にある鎌倉時代前期の門。 鎌倉幕府の六波羅探題の建物を移設したことからこの名で呼ばれている。

 

 

 

六波羅門から境内に入場。

〔恩遠池〕

〔三門 さんもん〕(国宝)応永32年(1425) 足利義持 が再建。現存する禅寺の三門としては日本最古のもの。上層に釈迦如来と十六羅漢を安置する 五間三戸二重門。

〔本堂=仏殿 兼 法堂〕(国宝)明治14年(1881)仏殿と法堂が焼けた後大正6年(1917)再建工事に掛かり昭和9年(1934)完成。入母屋造・裳階付き、高さ25.5m、間口41.4m、昭和期の木造建築では最大級。 天井の 「蒼龍図」 の絵は 堂本印象 筆。 本尊 釈迦三尊像は明治14年の火災後に万寿寺から移されたもの。

 

 

 

〔東司 とうす〕(重文) 室町時代唯一、日本最大、最古の東司(便所)の遺構。 

〔禅堂〕(重文) 貞和3年(1347)再建。単層・裳階付き切妻造の建物で中世期より現存する最大・最古の禅堂。

〔殿鐘楼〕 吊るされていた梵鐘(重文)は 西寺 の遺物とされる。

〔経蔵〕 寛政6年(1794)再建。

 

 

 

境内北の 「常楽庵」 エリア へは通常 「通天橋」 を渡って行くところ、この日は混雑を避けるため 「洗玉澗」 の中を通って行くように指定された。

洗玉澗 せんぎょくかん〕 本堂と常楽庵の間に広がる渓谷。 もとは桜が植えられていたが、華やかな桜は禪の修行の妨げになるとして全て伐採され、代わりに紅葉が植えられ、今や京都でも著名な紅葉の名所となっている。

 

 

洗玉澗に架かる 東福寺三名橋

〔臥雲橋 がうんきょう〕 仁王門から六波羅門方向へ向かう西の参道途中、洗玉澗にかけられた橋廊。ここから東方向に 渓谷・洗玉澗 とその先に 通天橋 を望む。

通天橋 つうてんきょう〕 仏殿から常楽庵の間にある渓谷・洗玉澗にかけられた橋廊。

 天授6年(1380)に渓谷を渡る労苦から僧侶を救うため架けられたと伝わる。昭和34年台風で崩壊したが2年後に再建、その際 橋脚部を鉄筋コンクリート造とされた。

〔偃月橋 えんげつきょう〕(重文) 庫裏から塔頭 龍吟庵 に至る 三ノ橋渓谷 に架かる、単層切妻造、桟瓦葺 橋廊。慶長8年(1603)再建。

 

 

 

〔愛染堂〕(重文) もとは東福寺塔頭 三聖寺 の愛染堂であったが、万寿寺が明治6年(1873)三聖寺を併合した後、万寿寺が東福寺の塔頭になった後の昭和12年(1937)

東福寺に移された。

 

 

(常楽庵庭園)

〔常楽庵〕 主要伽藍の北側に位置し、開山堂と昭堂を中心とした一画。

(楼門 =重文) 常楽庵への入り口。

(開山堂 =重文)開山の 円爾 像を祀る。

(昭堂 =重文)中央部は二階建てとなっており 「伝衣閣 でんねかく」と称され、金閣・銀閣・飛雲閣(西本願寺)・呑湖閣(大徳寺 芳春院)と並び 「京の五閣」の一つと言われている。

 

 

 

〔庫裏〕 昭憲皇太后 による恩賜で明治43年(1910)再建。

〔方丈〕 明治23年(1890)再建。

〔方丈 唐門〕(恩賜門) 正面前庭にあり、紹憲皇太后より下賜され 明治42年(1909)造営されたもの。

 

 

 

〔本坊庭園 (八相)の庭〕 (国の名勝) 昭和14年(1939)造園家 重森三玲 によって作庭、方丈を囲む四方に配置される。

  (南庭)荒海の波紋の中に 蓬莱・方丈・瀛州・四仙島 を表現した配石、右方に築           山で五山を表現。

  (北庭)石と苔で市松模様に配している

  (西庭)サツキの刈込と砂地が大きく市松模様に入り、クズ石を方形に組んで囲          田を意図している。

  (東庭)石で北斗七星を構成している。

 

 

 

〔光明宝殿〕 本堂東側に建つ文化財収蔵施設。昭和56年(1981)完成、東福寺と塔       頭寺院の宝物を収蔵。(非公開)

〔浴室〕 (重文) 前面を入母屋造、後方を切妻造の単層本瓦葺きの蒸し風呂の建       物。長禄3年(1459)建立で 京都最古の浴室建築。

〔十三重石塔〕 (重文)

 

 

 

 

(2)

東福寺塔頭寺院 勝林寺(しょうりんじ)

京都市東山区本町 15-795 に所在。

本尊 : 毘沙門天三尊像

天文19年(1550) 東福寺 第250代住持 高岳令松 禅師 により 勝林庵 として創建された。 江戸時代 中興開山の 独秀令岱 禅師 が夢の中で告げられた、仏法と北方の守護神とて知られる東福寺の毘沙門天像を 東福寺の鎮護のため、この塔頭に祀った。

毘沙門天像は 像高125.7cm、平安時代の製作。 その右側に毘沙門天の妃とされる 吉祥天像(清水隆慶 作) 左側に毘沙門天の子とされる 善膩師童子像(清水隆慶 作)の三尊像を一度に拝めば 子授け、子育て、夫婦円満 のご利益があるとされる。

本堂は大檀那であった 近衛家 の大玄関を移築したもの。

 

 

 

〔手水舎・花手水〕 急な階段を上る南の正門は閉鎖中で、指定された東門から入場すると右側に手水舎があり、 週2回 住職自ら生ける 花手水 に禅の心が込められている。 華道生け花のような立体的な造形が特徴で、手水鉢一杯に華やかな色どりの花が生けられていました。

 

 

本堂を囲む庭園は 四季折々の豊かな表情を現わす。

本山 東福寺 の広報主事も務める 現住職 の心境か?お祭りのような華やかな彩でした。

 

 

 

〔吉祥紅葉 きっしょうもみじ〕 本堂右手前に 秋には吉祥天が宿ると言われる 吉        祥 紅葉が鮮やかに映える。

〔石塔〕 中には一切経を埋めた石塔が建つ。

〔皇桜 すめらぎざくら〕 境内林の中に 春には 後桜町天皇 が参拝時に植樹された    「皇桜」 が咲く。

 

 

 

 

本堂内や仏像は撮影禁止だが、堂内から外に向かっては撮影許可された。

 

また、参拝者に人気の 御朱印は季節ごとに様々な御朱印が用意されている。 見開き

の御朱印帳はこの勝林寺が発祥。

 

 

< 完 >

 

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