8月24日(金)

今日で12日目。みんなの声を電話で聞いてから一週間が過ぎた。拘置所の中は時間の流れが遅いので一週間はものすごく長く感じた。連絡がとれない事から、自分の頭の中ではくだらない妄想をした。もしかすると、みんな僕の事を忘れてしまったのではないかと。みんながあれほど心配してくれていたのにもしかして裏切られたのではないかと不安になり過ぎていた。これから先自分がどうなるか全く知らされていないので不安でしかたがない。いつ家に帰れるのかも分からないし、今の状況が全く変わらない事でとても苛立っていた。

明日は長い一日だ。土曜日はフリータイムがない為、一日中部屋から出る事が許されない。勉強会もない。伸びて来た爪を歯で噛み切りながら日記を書き続けた。ルームメイトは風邪をひいているので、話し相手にもなってもらえないし、トランプも出来ない。

そのせいか、余計に時間が遅く過ぎるように感じる。ここだけ、時間の流れが止まってしまっているようで苦しい。

『健司、苦しんでいるのは世の中で僕だけじゃないんだよ。人生、そんな簡単な物じゃない。苦しい時だからこそ、いろいろなありがたみが分かるだろ?もう少しの辛抱だよ。絶対に大丈夫だからさ。』

と自分に言い聞かせるしかなかった。


逮捕される前バハマ島にいた時、アメリカで起こった土砂崩れのニュースを見た事を思い出した。洞窟で生き埋めになった人達は死ぬか生きるかのぎりぎりの状態でも望みを捨てずに救助を待ったにちがいない。当然彼等の状況と僕の状況とは比べられないが、望みを捨てては行けないと自分に言い聞かせた。

それと数年前日本に一時帰国した時の事を思い出した。僕は先輩として母校を訪れ、小学生達に自分の幼い時から海外生活の経験や現在アメリカで広告アートディレクターとして頑張っているという事まで語った事がある。その時、小学生達は憧れの目線で僕にこう質問して来た。

『先輩、好きな言葉はなんですか?』

僕は自信みち溢れながらこう答えた。

『僕の好きな言葉はHOPE。望みだ。』 

僕はそれを頭の中で再現してみると今の自分が情けない。望みを捨てちゃいけないと彼等の前で胸を張って教えた自分に情けなかった。自分が言った言葉には責任もって今戦わなければいけないじゃないか!最後まで、希望を捨てずに彼等のお手本にならなきゃいけない!僕は歯を食いしばり、弱音を吐かない事にした。

その夜、聖書の勉強会でテーブルの迎え側に座っていたジョージが僕に言った。

『健司、お前は一人ではない。どこに行っても必ず誰かが守ってくれる。お前は良い奴だ。悪い奴ではない。私には分かる。しかし、すべての友達が助けてくれると思ってはいけない。その代わりに違う場所で全く知らない人間があなたを助けてくれる。そういうものさ、人生は。聖書の教えで善い隣人、サマリア人の話を聞いたことがあるか?』

彼はそう言うとさっそく彼の手元にあった聖書を開いて読んでくれた。

隣人を自分の様に愛しなさい。
ルカの福音書27-35

ある人がエルサレムからエリコへ下って行く途中、追いはぎに襲われた。追いはぎはその人の服をはぎ取り、殴りつけ、半殺しにしたまま立ち去った。ある祭司がたまたまその道を下って来たが、その人を見ると、道の向こう側を通って行った。同じように、レビ人もその場所にやって来たが、その人を見ると、道の向こう側を通って行った。ところが、旅をしていたあるサマリア人は、そばに来ると、その人を見て憐れに思い、近寄って傷に油とぶどう酒を注ぎ、包帯をして、自分のロバに乗せ、宿屋に連れて行って介抱した。そして、翌日になると、デナリオン銀貨二枚を取り出し、宿屋の主人に渡して言った。

『この人を介抱してやってください。費用がもっとかかったら、帰りがけに私が払います。』

さて、あなたはこの三人の中で、誰が追いはぎに襲われた人の隣人になったと思うか。

律法の専門家は言った。

「その人を助けた人です。」

そこで、イエスは言われた。

『あなたも同じ様にしなさい。』

僕は聖書を読み終わり一生懸命説明してくれるジョージを見るとこの人は僕の隣人であり、これから先僕は自分にとって無関係な他人でもその人が困っているのであればその人を助けていかなければいけないと思った。