なんだか、センチメンタルな記事が続きますが。

私はよく、見知らぬ人から話しかけられやすいタイプなのです。

先日、ドラッグストアで買い物をして、サッカー台で荷物を詰めていました。
すると、隣りにいた初老のご婦人から声をかけられました。

「背が高いなあ〜。170センチは超えてるでしょう?」と。

「はあ、、、。そうですね、、、。」と苦笑いしながら返答しました。

そこからです。
自分の息子が177センチあったから、170センチ以上ある人は分かる、という話しになり、そして、息子のことに。
(難関大学)大を出て、今は○○に行っている、というもの。

こういう話し、本当に多いんです。
子どもの学歴自慢。そして、その子どもは遠くに行っている。
年に一度会えればいいほう。
子どもの自慢をしながらも、その姿からは寂しさが滲み出ています。

地方に住むものの宿命かな、と思います。
高学歴になればなる程、田舎には帰ってきません。
年老いた親だけが、そこに残されます。

見ず知らずの人に、子どもの自慢話をすることによって、なんとか自分の寂しさを紛らわせているように感じます。

夫も私も、親近くの地元に帰って来ました。
私たちに子どもが生まれた時は、とても助けてもらいました。

そして、義両親が年老いて動けなくなった時、食事作りや、病院の付き添い等をしてきました。

老人のひとり暮らしの人は、車で1時間もかかる病院までどうやって行っているんだろう。
車イスでないと、動けないのに、どうやっているんだろう。

地方で、高学歴の子どもを育てるということは、老後はひとりで暮らすということ。
その事実を覚悟した上で、子どもの進学を決めなければいけません。

私はFランクの私立四年大を出ているので、大学があった県では、就職の時に全く相手にしてもらえませんでした。

そんなこともあり実家に帰り、イギリス語学留学に向けてお金を貯めることにしました。

田舎の地元企業では、四年大卒がそもそも貴重で、ましてや女子ではなおさらでした。
突然、「高学歴の女性」になってしまいました。
お見合い話しもかなり来ましたが、私が四年大卒と分かるともうそれ以上は進みませんでした。
田舎の見合い相手は全て高卒だからです。


息子のこととは話題が離れてしまいましたが、何が幸せなんだろうなあ、、、と。
田舎の幸せと、都会の幸せは基準が違うような気がします。

田舎の年老いた人は、よく言います。
「子どもはあまり賢くない方がいい」と。