4月28日(火)
近所の田んぼで田植えがぼちぼち始まりました。
軽トラやトラクターに 父親やおじいちゃんと一緒に乗ってる子の姿、
おばあちゃんと一緒に田のあぜでお茶の準備をする子の姿を
ちらほら見かけるようになりました。
子が手伝えることは限られるでしょうが、きっとそばで見ているだけも、
一緒に田植えをやってるような気になれるのかも知れませんね。
じ~~~っと田植え機の動きを観ている子の真剣な横顔。
ピクニック気分で、嬉しそうに楽しそうにお茶の準備をする子の笑顔。
たまたま通りがかった全く関係のないオバサン(私)も、思わずほっこりします。
いろいろと不便な状況が続いているけれど、こういう時間が持てるのはいいなぁ~と。
農業に直接触れるなんてのは 田舎ならではだと思いますが、
例えば、プランターで野菜や花を育ててみるとか、
メダカやカメなどを飼ってみるとか、
自然の命を感じられるものが身近にあるといいですね。
小学校1年生は 今でも1学期に朝顔とか育てているのかしら?
新1年生はせっかくのピカピカのランドセルが出番待ちで、
「小学校生活を楽しみにしていたのに、入学式のみでモチベが下がってます。」
なんてお声も聞きました。
いろいろ不安になったり、心配になったりがあると思いますが、
とりあえず今は 「日課の安定」で
同じ時間に夜寝て、朝起きるリズムを整えつつ、
気持ちの上で普段どおりの暮らしを心がけていればいいのだと思います。
「そんなことしたら 学校で先生に叱られるよ?」とか、
「もう1年生なんだから、一人でできるでしょ?」とか、
意味なく脅したり、突き放したりしないでくださいね。 苦笑
大人だって
例えば 初めて出社した会社で、
いきなり知らない作業を何の説明もなくやれと言われたら 戸惑ってしまいますよね。
「そんなことしたら・・」と脅さずに、どうすればいいのかを具体的に指示してあげてください。
「一人でできるでしょ?」と突き放すその前に、基本のやり方を一緒にやってあげてください。
コロナウィルスは、見えないからこその怖さがありますが、
新1年生の子も、学校生活がまったく見えなくて不安だったりすると思います。
でも、まだ何も始まっていないんだものね。
だから、不安になる必要はないんだよという意味でも、
「いつもどおりに」過ごし、心を落ち着かせてあげてください。
我が家は、上の子yayaが小学校に上がった時に
とても緊張していたことを覚えています。(お子さんの気質もあると思います)
yayaは、周りの様子に敏感、言葉にも敏感で、
自分以外の子が叱られていてもカチコチに緊張する子でした。
大人には「たったそれだけのこと?」と思えるような出来事で、
家に帰ってきては 「お母さん、あのね、今日ね・・・」と説明しながら大泣きしてました。
大泣きするyayaの言葉をまねで返し、
抱きしめたり、背中をさすったりしていると、
私自身、最初は少々面倒に思ったりもするんですが、
学校では泣かずに過ごしてきたこと、
この子なりに対処してきたんだと感じ取れて
(なるほどね・・・)と少しわかるような気がしてくるから、
yayaを泣き止ませようと焦ったり、泣いているyayaを困った状態だと思わずに済みました。
良い、悪いの判断をせずに、我が子のありのまま、
現象そのものをただ淡々と受け止めるという行為は、
私自身がいつも冷静になれた気がします。
そのうち、yayaは自分で泣き止み、ケロっと何事もなかったように過ごし、
次の日もいつもの通りに学校へ向かう様子を見ていると、
(なんだ、親が受け止めようとしていれば、子は勝手に解決に向かうんだ)と
何度も思ったものです。
(ちなみに下の子roroが小学校に入学した時は、
男の子だし、yayaと気質も違うしで、
彼なりに緊張はしていたかもしれませんが、表現方法が違いました。
クラスメイト:「せんせーい、roro君がまた木に登ってまーす!」
先生:「え、今度はどの木に登っちゃった?」 (笑))
でも そんな・・・
何かと慎重で、何に対しても怖がって、
「私、外国なんて絶対行かない!!日本がいい!!」って言ってたyayaが、
はて? どこでど~なったもんだか・・・今じゃメキシコで働いているんですものね。
育てば育つものです。苦笑
さて、長いゴールデンウィーク&ステイホーム。
よかったら お子さんと一緒に 好きな植物や野菜の種、苗を植えてみませんか?
子育ち修了生の方は そんなのもう普通にやってることかもしれませんね。
小さな種から芽が出る様子、細い茎から枝葉が伸びる様子。
私は 子育ちの目線そのものだなぁ~と思うのです。
(そう、冊子Kosodachiの表紙絵はそのイメージで描きました。( *´艸`))
「どの子も みんな 育つ力を持っている」
その意識で
目の前のわが子を観ていたら、
我が子のありのままを受け止めようとしつつ、
親として、その子の育ちのために、今、何をどう手伝ってあげればよいのかが見えてくる。
そしていつしか その必要がない時期が来たのかも見えてくるような気がします。