私の体験談をお読みくださった方が、希望を捨てずにリハビリに励まれて、回復されますことを願っています。
あの大原記念病院での地獄のリハビリに比べれば、300キロ以上のロングライドなんて、私からしたら楽にしか感じません。
だって、自分の意思で身体が思うとおりに動くのですから…
疲れた…なんて、私からすれば贅沢なワガママ話。
自分の意思で動かしたくても動かない…これを経験した者からすれば、たくさん距離走って疲れたなんて…幸せなことなのです。
今では折り畳み自転車で300キロや500キロを走れるようになり、シクロクロスやエンデューロ、クリテにも参加できたりと皆さんと変わらないことができるまでになりましたが、実は私には二度と繰り返したくない過去があります。
今では病気になったことがキッカケで折り畳み自転車という趣味を持てて充実した自転車ライフを送ることができています。
その自転車ライフを記録していこう…また、病気で倒れましたが、今ではここまで回復してできるようになった…というのも発信したい。そんな色々な思いから備忘録として、Instagramや Twitter、Facebookやこのblogにも投稿して残すようになりました。
SNSを通じて、私と同じ病気で苦しんでいる方々や頑張ってる方々が少しでも「よし、やってやるぞ」という気持ちになってくれれば嬉しいです😃
2016年10月に自宅で突然倒れて、京田辺市にある田辺中央病院へ救急搬送されました。自分ではその時の記憶は薄っすらとしかなく、ただ病院のベッドの上にいる自分に気づき愕然としたものです。そこで判明した病名が脳梗塞でした。
えっ、俺が…
数日はただただ安静に過ごすこと、もちろん自分で動くことができないので、安静にするしかないのですが、現実を突きつけられ、気持ちは絶望状態でした。
その後、京都府立医科大学附属病院へ転院し、さらに詳しい検査と今後の治療について検討され、手術をすることなくリハビリに励んだら回復が見込めるという診断を受け、回復期の病院=大原記念病院へ転院することになりました。
これが2016年11月中旬の話です。
この段階では、身体は自分の意志で自由に動かすことができませんでした。
ただ命が助かって良かっと思えるぐらい自分にとっては辛い状況でしたが「リハビリをすれば回復します」という主治医の言葉を信じ転院しました。
この時は、これからリハビリに励み頑張れば、きっとすぐに社会復帰できると思っていました。
しかし、その大原記念病院でのリハビリが地獄だったのです。
毎日何時間もリハビリをしても、思うように身体が動くようにはならず、結果が出なくて焦る毎日…
自分が自分でないような感覚…
本当に回復できるのだろうか?
いや、頑張りが足りないだけで頑張れば絶対元どおりになる…
とにかく、リハビリ指導をしてくださる理学療法士や作業療法士の方についていった。
リハビリ以外の時間も自主練習でとにかく身体を動かした。
階段トレ、縄跳び、ウォーキング、バランストレ、ランニング、ぎこちない動きながら、とにかく動かせる範囲で徹底して動かした。とにかく、やるしかなかったんです。
そんな私の姿を見て、看護師やリハビリのスタッフの方々が励ましてくださいました。それがどれだけ心の支えになったか、今から振り返ると感謝しかありません。
こんな入院生活で、1日1日が長く、結果がなかなか出ないリハビリに嫌気が差すこともありましたが、それでも何とか自分なりに頑張って、年が明けた2017年1月に医師から「そろそろ退院を視野に入れましょう」と言われ、2月に退院の運びとなりました。
退院して、とにかく自宅に戻ることを目指していたのでホント、この時は嬉しかったですね。
しかし、退院したからといって、身体がしっかり動くようになったわけではありません。
常に起こる目眩に、バランス感覚が悪く、歩けば右方向に寄っていってしまう…左顔面と首から下の右半身が皮膚の温痛感覚障害が残るといった障害があり、退院してもリハビリをしていかなくてならない…
退院後、リハビリで始めたのが、当時、大学生だった長男が中高生時代に使用していた折り畳み自転車DAHONのボードウォークでのポタリングリハビリ…
バランス感覚が悪く、歩くと右方向に寄っていってしまうのですが、何故か?自転車ではバランスが取りやすく、まっすぐ走れる。毎日、ボードウォークに乗りリハビリに励みました。
そこから、どんどん機能も回復して体力も付いてきて、折り畳み自転車にハマりだした。
これが折り畳み自転車に、のめり込むようになったきっかけなんです。
続く、、、