「本」の扱いについて
古本屋というのは、結構昔からある商売形態ですよね。でも、先に書いた双極性障害に関する本や、古典の本は、古本屋やメルカリ等で、読んで終わったら処分する、という形を取ってほしくないのです。双極性障害に関する本は購入してから10年程度は手許に置いてもらいたいし、古典の本は自分が生きている限りは、座右の書として、いつでも手に取れるところに置いておいてもらいたいのです。
人間、それほど記憶力がいいものではありません。100頁以上ある本を1冊丸ごと暗記出来ている人など稀でしょう。ましてや躁うつの波に翻弄されているのであれば、尚更です。だから、自分が気が向いた時にいつでも読み返せるようにしてもらいたいのです。古典はさらに年齢を重ねる毎に、本の内容に対する受け止め方、感じ方も変わってきます。「生涯の友」と言えるような本と巡り合ってほしいのです。
我々がしなければならないことは、双極性障害という病気をよくしていくことと、人間を磨くことだと思います。人間を磨き、人格が出来ている人になれば、躁状態のときに、少々のことを仮にやらかしたとしても、周りの人は多目に見てくれる可能性が高くなりますし、友人関係にも恵まれると思います。
たとえば、イギリスの宰相チャーチルにしても、彼の優れた信念と人格があったからこそ、双極性障害であっても、20世紀最高の政治家と言われ、ノーベル文学賞も受賞しています。高潔なる人物であれば、双極性障害の障害を軽減してくれると思うのです。
僕は仕事でもよく言っているのは「理念と戦略と日常業務の一貫性を持とう」ということです。例えばダムを造る場合、下流の村を水害から守ること、ダムを造ること、石を運ぶこと、この3つを一体で考えようということです。石だけ運ばされていると思うとやらされ意識になり、村を水害から守るという理念だけでは形になりません。この3つが一体になることで初めて、意義ある仕事ができるのです。
双極性障害患者であっても幸せな生活を送れるようになるためにも、この考えは必要かと思います。人としてどう生きるべきかという理念を古典から学び、双極性障害の治療は、どうあるのか、という戦略を医者が書いた本から学ぶ。それらから、日々どう生きるべきか、というのがわかってくると思うのです。
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